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行動承認と存在承認ーhuman doing と human being



人生のゴール設定には、「やりたいこと」タイプと「ありたいすがた」タイプがあるよね。

という記事のURLを受け取って(私が友人に記事を送ったらしいのだが、紹介したことをさっぱり覚えていなかった)、
human-doingとhuman-beingの話を思い出した。


・やりたいことを叶えて生きていく「やりたいこと」タイプ
・human doing ー なにをしたか、どんな成果を残したか、で人間の価値を捉える見かた

・幸せな状態にあり続けたい「ありたいすがた」タイプ
・human being ー どんな状態であったか、何を大切にしたか、で人間の価値を捉える見かた

人間は「やりたいこと」「ありたいすがた」をどちらも持っていて、場面や嗜好によって使い分けているのだと思う。


これからの社会の潮流として「ありたいすがた」が大事だという方向に進んでいきそうだ、という予感がする。
ティール組織や、成人発達理論の本を読んで、そう思った。
コーチングスクールTHECOACHのカリキュラムも、「目標を達成すること、成長すること」よりも「本人にとって、よりよく在ること」を大切にしていると感じる。

経済成長が一番大切だった頃の「やりたくなくてもやるのが当然」から、
社会が飽和してきて「やりたいことをやろう」になり、
さらに感情ベースで生きられるようになった人間たちは「幸せに生きる」を追求できるようになったのかな、と考えている。
(ベーシックインカムの考え方が注目を浴びるのはそういった理由もあるだろう。最低限の生存は保証するから、自分の時間を100%好きに使っていいよ、という自由が、制度設計の根幹にありそう)


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存在価値をdoingー何を為したか、どんな成果をもたらしたかーに置いてしまうと、doできない状態の自分の存在価値を失ってしまう。

私は、doingの価値観でこれまでの人生を生きてきた。
「doできる自分になろう」と努力した結果、それなりに試験勉強ができるようになったし、ハングリー精神でなんとかする自分には誇りを持っている。
器用な人間ではないなりに様々なことに手を出すのは、何かを為している人間ならばその場に存在してよいのだ、と思えるからだった。

一方で、調子を崩して思うようにdoできない自分には、とことん価値を与えない自分がいた。
なにも成し遂げられなかった時間でも生きていればお腹は空く。ご飯が勿体ないな、なんて思ってしまう日もあった。


「人間の価値をbeingに置いてみるのはどうか。」とカウンセラーさんに言われたとき、最初はまったく意味が理解できなかった。
けれど、少しずつ「うまくdoできない自分」を否定しない習慣をつくって、
最近はやっと「うまくdoできない自分、ままならない自分」とも共にいられるようになってきた。

相変わらず「ままならなさ」は健在であるので、まだまだ修行が重要そうに思える。
こういったひとつひとつの声掛けが、「自己への存在承認」をはぐくんでゆくのだなあ、などと思ったりもする。


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human-doing と human-being に関する TED talk。
以下和訳は個人のメモなので、参考程度にどうぞ。

todo listにつけられなかったチェックの数を数えてフラストレーションを貯める human-doing 的な生き方から、
大切にできた価値観を認識する human-being 的な生き方への転換をしたプレゼンター。
「目標を達成したその瞬間」よりも、「目標に向かって行動している時間」のほうが圧倒的に長い。ここを楽しめるとよさそう。
それでは、human-being を大切にして生きるためにどんな習慣を持つとよいのか?

① どうありたいかを明確にしよう
ー todo リストを手放して、tobeリストを持とう

② 自分にとって大切なことを見つけ、それを大切にして生きよう
木のメタファで整理する
根:何をするにしても大切にしたい根幹の価値観はなにか?
幹:どんな場面で、自分はイキイキとしてみえるのか?
葉:社会とどう繋がり、どんな貢献をしたいのか?

③ いまここに集中する
瞑想の習慣。呼吸できてる?

④ 過程すべてを経験として楽しもう
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