ときには無理して頑張ることも含めて「自分を大切にすること」なんじゃないかな


「自分を大切にしてね」
って言葉をよくもらう。

自分の残り体力を無視して、
ガソリン空っぽなのにアクセルを踏もうとして、
もう進めなくなって倒れて、迷惑をかけてしまうからだ。

(これは明らかに過去の成功体験から得たスタイルだけれど、
 そろそろ持続不可能なので辞めていきたいと思っている)


でも、頑張りたいことがあるときに、アクセルを踏むことは悪だと思わない。

私はメリハリのある人生を生きたいし、
ちょっと頑張ってちょっと悩んでちょっと苦しんでるくらいがいちばん幸福な人生だと思う派だし。
だいぶアクセルを踏んで、自分たちの限界を更新していく感じは、ヒリヒリして大好きだし。
そんなときに何より「生きてる!!!!!」って感じるし。

「頑張る」っていう最大級の娯楽を、自分自身から奪いたくはない。


じゃあ、どんな「頑張る」なら、苦しみより楽しさが上回るのだろうか。
この「頑張る」は自分の人生をゆたかにするための経験だと、心から思えるだろうか。

いま2つの要素が大切だと思う。


1. 自分で決めること

ひとつめは、「これを頑張る」「なんのために頑張る」を自分の意志で決めて、始めることだ。
当たり前に思えるかもしれないけれど、案外 自分の人生を自分で決めるって難しいし大変なことだ。

煽ってくる人はいっぱいいる。理由なく煽りたい人もいっぱいいる。
期待してもらえるほど、「もっと頑張れよ!」と煽りをいただく機会も多いだろう。
煽りに乗って「頑張る」を選択するか、受け流しておくかは、自分自身で決めていいはずだ。

選択の理由や基準は、うまく美しい言葉にならないかもしれない。
綺麗に見せなくてもいいから、「なんのために頑張ってみるのか」を言葉にしておくと、思うようにいかなかったときの撤退基準も決められる。

ひととおり体験できたらOKとするのか、
仮説検証のサイクルを何度か回すまでやりたいのか、
どうしてもあの人にこの価値を届けたいのか、
自分が瀕死でも絶対に目標達成するまでやる気でいるのか・・・

(事業を始めるにも、なにかを買っていただくにも、Whyが大事。)


2. 残りHPをモニターし、回復手段を持っておくこと

ふたつめは、「頑張る」モードを終えて、「日常」を生きていくのに必要だ。
一生「頑張る」モードで生きていくのは難しい。
必ず、祭りのあとには日常がやってきて、わたしたちはまた生きていかなければならない。
どうせ生きていくなら幸福にやっていきたい。

いま残りHPが30/100で、それでも50の「頑張り」をしたいと思うならば、
「頑張り」のあとにマイナス20の自分がいることを想定しておくことが大切だ。

必要な回復手段、時間、頼り先をあらかじめ確保しておこう。
マイナス20の自分に、さらに100の頑張りをさせたら流石に壊れてしまう。

人間は、少しくらいの無理ならできるが、無理しすぎると壊れる。
壊れ方が大きければ大きいほど、修復にかかる時間やリソースも増える。

モニターするのも難しくて、まだまだトレーニング中だけど、やっているうちに慣れてくる。

ここ数ヶ月使っている生活記録サービスExistが気に入っている。
「体感エネルギー残量」と「気分」と「家事や行動の量」を分けて記録したりして、自分のパラメタを HP/MP/LP みたいなイメージで探している。
(英語版のみ、日本語対応してくれたらいろんな方に勧めやすいのにな)



と、いうことで、
緩急のある人生のほうが好きっぽい私は、
持続可能に「頑張る」をやりながらハッピーに生きる手段を探しつづけている。

これが私なりの「NEO 自分を大事にする」かもしれない。


あなたの「自分を大切にする」はなんですか?




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