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密を避けてのお花見。京都の春


京都に来て3回目の春。仕事柄日中はほぼ外にいるけど、ちゃんと止まって桜を眺めることは、残念ながら少ない。でも、京都はやっぱりどこの桜も絵になるなあと思う。桜の満開の時期は短いけど、蕾から咲き始め、満開、散り時、と、どの時期の桜もそれぞれ独特の魅力を持っていて、四季のうちの「春」って言う季節の更に細かい移ろいを感じられて、日々忙殺されていても、ふと、時の流れが愛おしくなる。

満開の桜ももちろん綺麗だけど、私は蕾の時期が好きかな。長くて厳しい冬を乗り越えて、小さくも力強く芽を出した蕾にとてつもない愛おしさを感じる。

今年は、銀閣寺道の桜を目にすることが多く、満開は言わずもがな見事だったけど、散り時の桜吹雪は圧巻だった。満開を過ぎた時の潔さと言うか、散る時の豪快さと言うか。ここの道は周りに派手な建物やお店がないから、良い意味で桜を引き立てるものがなくて、桜の存在感が強い。

近所の人なら多分お肉屋さんでお肉買った帰りとか、その袋持ちながらあのへん歩いたら絶対絵になる。観光地でもあるけど、良い意味で庶民らしさも持ち合わせていて、個人的にとても好き。

さて私の花見ですが、ちょっと違うところの桜も見てみたいなあということで、休みの日に中心地からだいぶ北の大原へ。

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これは三千院の桜。濃いピンクの花は梅?だとしたら、桜と梅が同時に見れるのって珍しい。三千院はどこもかしこも桜!ということではないけど、個人的には境内いっぱいに桜が植えてあるお寺とか神社より、イメージはないけど実は咲いてる。みたいなところの桜の方が落ち着いて見れるので好み。三千院は一番好きなお寺だけど、桜の季節に来たのは初めて。人はいたけど多過ぎず、自然豊かでやっぱり一番落ち着く場所。

次に、三千院から程近い宝泉院へ。

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強いのは紅葉の時期のお庭のイメージかな。桜はなかったけど、暖かい日差しの中でゆったりお庭を眺める時間に、春の穏やかさを感じた。出していただいたお茶とお菓子でしっかり寛がせていただきました。

宝泉院に、血天井があるのは知らなかった。うっすら血の跡が残っているのが分かって、自害の瞬間を想像してしまうと恐ろしくもなってしまうけど、その場を残すことが弔いになるのかもしれない。死ぬ覚悟を決めることが英断とされた時代にも、春の穏やかなひと時を感じる瞬間っていうのはあったのかな。

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日本の神社やお寺の庭を見てると、世界って美しいなあって思う。嫌なことがあったり社会の不条理さとかが見えて鬱蒼としてしまっても、世の中綺麗なものは残ってる。まだ自分の頑張る余地はある。そう思うと庭を眺めながら不意に泣きそうになってしまう瞬間があるのよね。頑張れ!っていう後押しじゃなくて、何も言わないけどそっと背中を撫でてくれるような、そんなお庭でした。「観光」というと大袈裟だけど、疲れてしまった時にふと、訪れたい場所。


大原のお土産はお漬物とお味噌。寂光院にも行って、寂光院のすぐ前にある翠月さんという漬物と佃煮のお店。まいたけ煮とか京みぶなとか欲しいものは多々あったけど、食べきれないと困るので一番気になった「柿大根」を買った。名前の通り柿の入った漬物で、柿の風味は正直感じなかったけど、さらっとした蜜の甘さと、一緒に入ってる柚子の香りが合ってとても美味しい。漬物って庶民派なご飯のお供のイメージだけど、この柿大根は味も濃くなくて上品な味だった。

お味噌は「味噌庵」さんの白味噌。隣にある「雲井茶屋」さんの味噌アイスが好きで大原に行った時散歩した後によく食べに行っていたけど、料理にハマり出した今は味噌を買いたくて。添加物や甘味料は使わず、大豆の甘さだけの白味噌が気になって、購入。関東人なのでこの「辛口」は、キムチだとかそういった類の「辛さ」なのかなと思ったけどそうではなく「塩辛い」という意味の辛さだそう。料理欲をかき立てられている。

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こういうお買い物も大原の楽しみ。また今度は野菜買いに行かなきゃ。スーパーも便利だけど、こういう地元のお店ってやっぱりいいな。観光のお土産と言うだけじゃなくて、生活圏として利用していきたい。



春を感じられる場所は、そこらじゅうにあるみたいだ。

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