もっと自由であるはずの人間
私たちは生まれ、学校へ行き、社会で働き、死ぬ。言ってみれば同じルールで同じような人生を生きている。
よく言われるように日本では特にそうで、レールの敷かれた人生と揶揄されることもある。
私は、合理的に人間の欲望や安心感を追求し、システムを形成した結果だと考えるので、頭ごなしに否定することができない。
実際私は就職活動中だけれども、正直将来の不安より安心感の方が勝っている。学校に所属するだけで立場が形成されるのだから、ルール従っていれば自分一人で立っているより圧倒的に楽だから。これは会社に所属する社会人にとっても当てはまると思う。(社会人が楽と言っている訳ではないです。)
だけれども、心の深い方に目をやると思う。
人間はもっと自由なはず
自由であるべきといっているわけではなく、そもそも自由であるはず。(不当に他人の不利益を招く、法律に背くようなことは除くとして。)
しかしながら実際は、自由に選ぶことも、休むことも、働くことも出来ず、それらはすでに義務化してしまっている。
暗黙のルールから外れることに、非常に不安を覚える。
これは日常生活や人間関係を合理化するために、社会をルール化したことによって生まれた弊害だと思う。
誰もが漠然と抱える将来に対する不安は生涯消える事はなく、むしろ年を経るごとに重くのしかかってくる。
インターネットが発達した今なら、多くの人がこの苦しみから逃れられるのではないかと思う。
社会がより合理化したものへと進んで行くとしたら、現在のように働く人口は減るのが当然だし、さらに言えば働く人そのものが減ってくると思う。
そんな時代に、人がどう生きるのか、自分のようなひよっこにはわからないけれども、ひょっとしたら人類が生まれた時以来の自由な暮らしが待っているかも知れない。それが楽で安定した暮らしではないことは予想出来るけど。
以上が就活で現実逃避気味になっている私の夢想でした。
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