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詩  ……その3 (17編)

誰かが残した
 
物が腐るとくさくなるのは
見えないほどの小さな生物が
養分に変えるため働いているから
鼻をつまみたくなるような
言葉や行いを撒いてゆく人は
きっと
そうしないと
自分の心が掃除できないんだろう

誰かが残した
嫌な気持ちも行いも
しっかりと分解して
心の養分にできたなら
いいんだけれどナ

なかなか難しいから
こうして今日も
神様にお願いするのです
 
 
 
つながらない
 
つながらない
こころが
つながらない
どうしたら
いいんだろう

誰かの成長を
願えば
願うほど
もどかしくなる
他人事だと
笑ってしまえば
らくなのに
 

 
残るもの
 
心の中の奥底から
全ての嘘を除いたら
僕には何が残るだろう
虚栄心や欲望で
きっと
僕は生きている

だから
何も残らない

でも
ほんの一粒でも
キラキラとした
輝きが
残っていたら
うれしいな
 

 
憤り
 
腹は
立てない
方がいい
ずっと
笑えれば
いいなと願う

でも
いろんなことを
自分のこととして
思えば
思うほど
憤る

嫌いな奴など
見たくない
どうしようもない
せつなさに
あらゆるものを
かなぐり捨てて
他人事にしてしまえば
らくだろう

それが
できないから

嘘つきになるか
黙りをきめこむか
憤っているか

あるいは
たんたんと
自分だけの
責任を
果たしていくか
 
他人事に
思えたら
楽なんだけれど
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
9年目に入って……
 
れんほは
ウキウキと
先生を
待っています

小学校へ
入って
初めての
家庭訪問

少し
いつもより
念入りに
化粧して
先生と
話をする
家内にとっても
きっと
初めての経験

そういえば

ここ数年間
初めての
できごとの
連続でした

貴方が
初めて作ってくれた料理は
なんだったけ?

忘れたといえば
叱られるけど
たぶん
自分で作ったほうが
旨かった

初めての妊娠
初めての出産
初めての育児
初めての幼稚園
初めての小学校

そのまえに
初めての
「妻」
でもありました

「主婦」やら「母」やら

いろんな
立場
いろんな
責任を

私は
貴方におしつけて

もう
八年が経ちました

今日
結婚記念日だから

たまには
すなおに

ありがとうと
言います
 
 

 
少ない
 
幸せを
感じる力は
どうすれば
身につくだろう

幸せだと
感じる人が
一番
幸せなんだと
誰もが
知っている
筈なのに

幸せを
感じる力を
養う方法を
教えてくれるものは
少ない
 
 
 

 
考えることもなく
 
誰かの幸せを
心のどこかに
期待して
暮らしている
つもり

でも
電車のつり革に
掴まって立つ
人の前で
当たり前のように
席に座るようなことを
してはいないか

運転している車を
避けようとして
事故を
起こした人たちを
気づかずに
去ってはいないか
些細な
僕の行動は
誰かの生活に
制限を
加えていないと
言えるか

誰かの
座りたかったイスに
僕は
平気で
座っていないか

順番を待つ人の前で
平気で
くつろいでいないか

そんな人たちが
いることを
想像しながら
僕は生きてきたか

そんなことも
考えることなく
誰かの
幸せを願う
フリをしながら
きっと
僕は
生きてきた
 
 
 
 
 
アー言えばコー

この星空を
雨で
濡らすように
矛盾した言葉で
アー言えばコー

きっと
誰の心にも
しあわせが
届かないのに
正しいと
思いこむのは
なぜだろう

勝手に
正しいと
思うことほど
はた迷惑なことは
ないのに
 
 
 

 
正しさ
 
正しさを
語ると
正義を
語ると

きっと
誰かが
傷つく

そうだろう

間違いを
否定するために
正しさは
存在するのだから

でも
正しさで
誰も
笑わない
ぜんぜん
おかしくは
ないのだから

生まれた日と
亡くなった日付
しかない
伝記のように

意味のない
正しさを
僕は
求めていないか
 
 
 
 
ばかりいると
 
走っていると
立ち止まりたくなる

立ちっぱなしだと
座りたくなる

座っていると
眠たくなる

眠ってばかりいると
走り回りたくなる

変化がないと
どうして
ぼくらは
苦痛を感じるのかナ
 
 

 
 
ちょうだい
 
こっちの方が
たくさんあると
妹は
納得しない

おねえちゃんが
言うよ
こっちの方が
もっと大きいと
妹は
納得しない

お姉ちゃんが
欲しいのは
本当は
ひとつ
あのチョコレート

でも
やっぱり
もうちょっと
ほしい。

妹の望みも
本当は
ひとつ
お姉ちゃんが
食べてるのと
同じもの

量や形や大きさを
いろいろかえて
こっちがいいと
お姉ちゃん

でも
妹は
首を振る
 

 
 
準備
 
おじいちゃんや
おばあちゃんたちが
ガヤガヤと
歩いてゆく

小学生のように
何人も
つれだって

年をとると
みんな
子供のように
なってゆく

身体も
だんだん
小さくなって
言葉も
思ったことが
すぐ
口に出る

そうやって
きっと
私も

やがては
生まれ変わる
準備を
していくのかな
 
 
 
 
生まれし日
 
生まれし日を
僕は
もちろん
覚えていない

もし
覚えている人が
いるとしたら
きっと
それは
生後間もない
赤ちゃんくらい


でも
覚えてもいないのに
大切に
おもえるのは
なぜだろう

めぐりくる
その日に
父や母や
周囲の人々に
感謝をしなければと
勝手に思い込む

自らの成長と
重ね合わせ
自分の
頼りなさを
反省する

やがて
その日は
自分の
それよりも
誰かのそれが
大切になって
親に
なっていった

今日
娘の
七歳の
誕生日
 
 
 

 
 
幸せの確認
 
毎日
公園を
掃除する
オバサンにとって
その公園は
オバサンの
公園だろう

毎日
公園で遊ぶ
子供たちにとって
その公園は
自分たちの
公園だろう

みんな
自分のものだと
信じた瞬間から
きっと
自分のものになる


幸せも
自分のものだと
信じた瞬間から
きっと
自分のものになる

でも
どんなに
自分のものであっても
使い方を
間違えると
壊れてしまう

手入れを
怠れば
錆びてしまう

散らかしていれば
必要なときに
でてこない

だから
私は

神様に
祈りを
捧げながら

或いは
妻や子供たちの
顔を見ながら

毎日
幸せの
確認をする
 
 
 

 
逃亡せよ!!
 
逃げろ!
逃げろ!
逃亡せよ!
逃亡せよ!

世界中の
隅から隅へ

白い眼をした
奴らに
後ろ指を
指される
くらいなら

そうだ
誰かが
僕を
監視している
鎖をもって
手錠をもって

誰かに
掴まるくらいなら
僕は
いつだって
嘘を
つきとおす

証拠が
あろうがなかろうが
誰かに
罪がかかろうとも

逃げろ!
逃げろ!
逃亡せよ!
逃亡せよ!

宇宙の身体に
張り巡らされた
大きな網と
虫かごの中
 
僕は
ジタバタしながら
まだ
どこかに
逃げられると
思っている
 

 
 
 
貴方の描く
 
心に傷を負った者たちは
どうすれば癒されるのか

生まれついて
心に傷を負ったものは
きっと
生まれ変わる前に
負った傷が
まだ
癒えてないのだろう

それでも
きっと

心のどこかで
幸せを
探している

僕は願う
貴方の描く
幸せの風景と
私の描く
幸せの風景に

多くの
接点が
あることを
 
 
 
 
 
 
まぼろし
 
生まれてから 幾度
幻を
見ただろう

ときめくほどの
幻が消えて
ため息を
ついた日

それが
恋であったり
景色であったり
或いは
夢であったり

年齢を重ね
夫となり
親となるうちに

だんだんと
輝くような
一瞬よりも

そこに
あるべきものが
しっかりと
そこに
存在しているのかを
確認することが
多くなった

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