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おたねさんちの童話集「ウサギのチャビット」

ウサギのチャビット
 
 小学校の隅に小さなウサギ小屋がありました。チャビットはそこに住んでいました。たった一匹で住んでいました。小さな茶色い、男の子のウサギでした。昔は、お母さんウサギと一緒に住んでいましたが、ずいぶん前に亡くなっていました。でも、あんまり小さい時のことだったので、お母さんの死んでしまった事を、チャビットは、ちゃんと理解出来ませんでした。
 「本当は、どこかにママがいるはず……」
 チャビットは今でも、心のどこかで、そう思っていました。小さな窓からは、心細そうな三日月がみえした。
 チャビットは、めったに見ることのできない、この三日月が好きでした。なんとなく寂しそうな様子が、自分と重なって思えたからです。
 もうすぐ春がやってくる頃でした。一日に一度だけ用務員のおじさんがエサの野菜と水を持ってきてくれました。エサの野菜はにんじんやキャベツでした。時々それ以外にも葉もの野菜が混じっていました。
 「今日も元気そうだね」
 おじさんはそう言って毎日チャビットの背中をなでてくれました。チャビットにとって、それが一日に一度だけの楽しみでした。
 他には誰もきませんでした、でも、四月を過ぎた頃、急に校庭が騒がしくなってきました。
 「新学期がはじまったよ」
 用務員のおじさんが教えてくれました。
  新学期が始まると、時々、小さな人間の子供たちがチャビットを見にきました。金網があるので、遠くの方から指を指して、キャッキャキャッキャと、なにやら子供たち同士喋っていました。
 新しいお友達が、チャビットの小屋へやってきたのは、それから間もなくのことでした。
 チャビットよりも、少し小さな男の子ウサギでした。
 「一年生の子供たちが、一匹だけだったら可哀想だと、先生に言ってくれたんだよ」
 用務員のおじさんが、そう教えてくれました。
 チャビットにとって、初めてのお友達でした。だから、何を話して良いのかも、チャビットにはわかりませんでした。
 「あの……。こんにちは。ぼく……チャビットっていうの。よろしくね」
 しどろもどろになりながら、チャビットは、思い切って、そう言いました。
 「あの……。こ、こんにちは。あ、あの、名前のあるウサギっているんですね。ボク、初めて出会いました」
 新しくやってきたウサギも、やっぱり少し緊張していたのでしょうか。おどおどしながら、チャビットにそう言いました。
 「どうして、名前がないの?」
 チャビットは尋ねました。
 「どうして、チャビットには名前があるの?」
 「それは……。ママもそう呼んでくれてたし、用務員のオジサンもそう呼んでくれるし……。生まれた時からチャビットだったから、そんなの考えたこともないよ!」
「ねえねえ、チャビット!ママって何?ママって人間でしょ?人間の子供たちよく、ママ!ママ!って言っていたもの」
「違うよ。人間のママじゃないよ。そんなのボクのママに決まっているでしょ!ボクはウサギだから、ママもウサギだよ!」
チャビットは口を尖らせて言いました。
 「ねえねえ、じゃあ、チャビットのママはどこにいるの?どうしてここにいないの?」
 「それは、ボクの方が知りたいよ。だって、ボク、ずっとママが帰ってくるのを待っているんだもの」
 チャビットは、そう言いながら、ハッとしました。
「ねえ、君にはママはいないの?」
 「うん。いないよ。ママは人間にしかいないって思ってた」
小さなウサギは、そういって、少し寂しそうな顔をしました。
「君は、ずっと今まで、たった一匹で暮らしていたの」
「一匹のような、たくさんのような。ペットショップっていうところ。たくさんいるけれど、みんな一匹ずつ別々のカゴにはいっているの。それで、人間が来て、動物や鳥たちをいろんなところへ連れいってしまうの。それで、ぼくは、ここへやってきたんだ」
「寂しくないの?」
チャビットは驚いて尋ねました。
「寂しいのかもしれないけれど、ずっとそうだったから、わからない」
小さなウサギはそう答えました。
 「ボクはね。寂しくなったら、お空を見上げるの。そうして、細長い三日月を探すんだ」
「ねえ、お空って何?三日月って何?」
「きみ、お空もしらないの!あの窓の向こうをみてごらん。あの青いのがお空だよ」
チャビットはビックリしていいました。
「あの小さくて青いのがお空っているの!初めて知ったよ!」
男の子は、そう言って笑いました。
 チャビットは、なんとなく自分に弟が出来たみたいで、ちょっぴり嬉しくなりました。
 「ソーギー!ソーギー!こっちへおいでよ!」
小さな人間の子供たちが集まっていました。チャビットは、なんのことか解りません。
「ソーギー!ソーギー!こっち向いてよ!」
 どうやら、人間の子供たちが、小さなウサギに名前をつけたみたいでした。
「ねえ!ねえ!おじさん。ソーギーを抱っこしていい?」
「ああ、いいよ。まだまだ小さいから気をつけなよ」
 用務員のおじさんは、ソーギーを捕まえると、集まった人間の子供たちに抱っこさせていました。チャビットは、それを遠くから眺めていました。
 「びっくりした!最初はなんのことか分からなかったもん!急にいっぱい集まってきてソーギー!ソーギー!って」
 小さなウサギは、チャビットのところに駆け寄ると、興奮しながらそう言いました。少し嬉しそうでした。
 ソーギーがきてから、ウサギ小屋にはたくさんの人間の子供たちが集まりようになりました。
 「ソーギー!ソーギー!」
 人間の子供たちは、みんなソーギーの頭や背中をなでたり、抱っこしたりしました。チャビットは、やっぱりいつも、それを遠くから眺めていました。
 「どうしたの?具合が悪いの?」
 ソーギーに声をかけられても、チャビットは黙っていました。
「ねえねえ、どうしたの?なんでそんなに怒っているの?」
「怒ってなんかないやい!」
「じゃあ、どうして、おしゃべりしてくれないの!」
「なんでもないから、あっちへ行ってて!」
チャビットは、小屋の隅に顔を隠してうずくまりました。目を閉じて眠ろうとしましたが、眠れません。ただ、まぶたの下にうっすらと涙が滲んでいました。
 夜になりました。
 ソーギーも反対の隅っこで眠っていました。
 チャビットは、ソーギーの背中にフトンをかけてあげました。
「おや?」
 小屋のドアが少し開いていました。
 子供たちが遊びにきたあと、用務員のおじさんが閉め忘れてしまったようでした。こんなことは初めてでした。
  チャビットは、そおっと外へ出てみました。
 ソーギーが来る前だったら、もしかしたらドアが開いていても、外へ出なかったかもしれません。が、ちょっと外の世界を見て見たいとチャビットは思ったのでした。
 夜の校庭は、とても静かでした。ジャングルジムの隣で、ブランコが少しゆれていました。
 空には、お月様が見えました。初めて見るお月様でした。時々、小さな窓から見えるお月様は、か細い三日月でしたが、今日は、ふっくらしたまん丸のお月様でした。
 「チャビット、どうしたの?こんなところへ出てきて!」
 いつの間にか目が覚めたソーギーが、チャビットの所へ近づいてきました。
「見てごらん。まん丸いお月様だよ!」
 チャビットは、優しい声でそう言いました。
「あ!ママ!ママが居るよ!」
ソーギーの声に、ビックリしてチャビットは、もう一度空を見上げました。
「ほんとだ!ママがいる!」
 まん丸いお月様の真ん中に、ママの姿が見えました。
お月様から離れた所にぽつんと光る、小さな星がにじんでみえました。
 「ほら!こっちの大きさウサギの背中もなでてやってごらん」
 次の日、小さな人間の子供たちに囲まれたチャビットは、用務員のオジサンのとなりで、ゆっくりと伸びをしていました。おしまい。

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