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魔法じじい(1)

じじいは長く生きている。だからわかっている。理屈や知識で幸せはやってこない。幸せは魔法が作り出す。

事実は変えられる

「事実は1つ」というのは法律や裁判のような世界では定番だろう。ほんとか?

事実は1つかもしれない。が、事実の認識は、人間の体の中で起こる化学反応の結果でしかない。ニューロンの構造が変われば、記憶は変わっていく。本人が正しいと思ったことも本当にそうであったかどうかは確かめようもない。

視覚もしかり。「あばたもえくぼ」と言う。好きな人なら顔がボロボロでも、かわいいえくぼに見えるということだ。

若い、気鋭の弁護士なら事実にこだわってもいいが、じじいの役割は事実を捻じ曲げることだ。事実を変える魔法がじじいが持つべき能力だ。

誰かのために事実を曲げれば、誰かが損をするかもしれない。不幸になるかもしれない。これがじじいが取り組むべき課題だ。

事実を曲げるなら、自分が好きな、応援したい人のためにやりたい。しかし、そうすることで損をし、不幸になる人も出る。じゃあ、誰かを不幸にしないために魔法は使わないようにするか。そんなつまらないじじいになるのは止めよう。自分のお気に入りの誰かのために魔法を使うのが正しいじじいだ(私はそう思う)。

私に好かれないお前は間違っているのだ。それでいい。

ダメじじいの生き方

功成り名を成すしたじじいなら、いまの立場や財産を守ってもいいだろう。ない人はどうする。志に生きるしかない。どうせ、老い先短いんだからのたれ死だらいいじゃないか。

私はじじいとして、権力にひれ伏さない。間違った権力者がいたら戦う。自分の利益のために正道を曲げたりしない。職位が高いとか、財産が多いとか関係なく、正しいことをつらなく。だから私は職位も財産もない。これがダメじじいってものだ。

ダメじじいが事実の1つや2つ曲げてみようじゃないか。

これは嘘ではなくて、悪との戦いの物語というものだ。失うものもないんだから悪と戦ってみたらいいじゃないか。

昔、こんな話があった。癌を宣告されて、余命半年の市役所の公園課の課長。普段は物事を決めず進めず事案をずるずる引き延ばして無為に仕事をしていた課長だった。

癌を宣告されて、貯金を引き出して、飲みに繰り出して、若い子と遊んだ。しかし心は晴れない。ふと、自分が握りつぶしていた公園建設の事案を思い出した。地権者を駆けずり回って実現にこぎつけた。そして、公演のブランコで息を引き取った。

半年後に死ぬところまで差し迫らなくてもやったらいいじゃないか。


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