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比喩でなく捨てられていた猫のこと

見てみないふりをしてたら死んでいた猫じゃなければ見なかったかな

2001年3月16日。
その夜は、パソコンに向かって書き物をしていた。
(よし、今日はこれでおしまい)
ディスプレイから目を離し、周りの情報を取り入れ始めたとき、外から断続的な音が聞こえた。

「びぃ、びぃ、びぃ、びぃ」

「び」とも「み」とも「に」ともつかない音は、かすかだけれども、こびりつくようだった。

気になって、窓を開け、もう真っ暗な道路を見回した。(当時は結婚したばかりで大阪市内のマンションの2階に住んでいた)
幸か不幸か、目だけはいい。
向かいのマンションの階段の前で、モゾと何かが動いた、ような気がした。

目を凝らすと、黒いこぶし大の固まりが2つあるように見える。
なおもその2つの固まりを注意深く見ていると、そのうちの1つが確かに動いた。
僕は、入浴中の妻に声をかけた。困った声だったに違いない。

「……外で子猫が鳴いてる。多分」

厄介なことになった、と思っていた。

家にはすでに猫が1匹いた。新たに2つの命を抱えるということが、とても難しいことに思えた。(当時は「里親さんを探す」という発想がなかった。当然、のちに9匹の猫を飼うことになるなんて、このときは想像もしていない)

声や大きさから、生まれて間もない子猫であることは想像ができた。すぐに死んでしまう気がして、それも憂鬱だった。

(見間違いならいい)と思いながら、向かいのマンションの階段に向かった。やはり子猫だった。まだ目も開いていない。生後1週間くらいだろうか。そばにはプラスチックトレーに入った水が置かれている。

迷い込んだわけでも、産み落とされたわけでもなく、まぎれもなく人間によって捨てられていた。

片方の固まりが声の主だった。あらん限りの声で鳴きながら、モゾモゾと動いていた。

「鳴くこと」と「モゾモゾすること」ができることのすべてだった。この猫はできることをすべてしていた。

もう片方は、できることが何もなかった。つまり、死んでしまっていた。まだ温かかった。

やりきれない気分で、2匹を家に連れて帰った。

猫に見えないこともないけれど、それ以外の動物に育っても決して文句は言えない、と思うほど、なんだかわからない生き物だった。

体重を計ると、170gだった。

僕は、ただオロオロして、何の役にも立たなかった。妻は同じような状況を何度か経験していて、処置はすばやく的確だった。

妻が「今晩さえ生きて越せればなんとかなる」と、言い聞かせるように言った。重苦しい。

すでに死んでしまっていた子猫は、ペット専門の葬儀屋さんに引き取りに来てもらった。葬儀屋さんに「猫ちゃんのお名前は?」と聞かれ、返答に詰まる。

保護したばかりであることを告げると、葬儀屋さんは「じゃあ『子猫ちゃん』にしておきますね」と言いながら、書類の名前欄に「子猫ちゃん」と書いた。

僕たちの心配をよそに、子猫は元気に育った。保護してから10日後、先住猫に会わせてみる。意外と大丈夫そうだった。

その日、子猫を「くう」と名付けた。「空」と書いて「くう」。本当は、黒っぽいから「くう」で、「空」は後から当てた漢字だ。

子猫の頃のくうは、暴れ方が尋常じゃなかった。猛ダッシュで走り、ノーブレーキで頭から壁に激突したり、柱を抱えてよじ登ったり、縦横無尽だった。(借家だったので気が気じゃなかった)

いまだに子猫の頃のくうよりやんちゃな猫には、出会ったことがない。

そのやんちゃも2歳になると急に収まり、一転、とてもおっとりした性格になった。子供からすぐおじいちゃんになったみたいだ。

たぶん生まれてすぐに、全力で鳴きすぎたから、その分落ち着くのも早かったのだろう、と思う。

170gだった体重が、今や6.2kgだ。※

たぶん生まれたとき隣にいたもう1匹の分まで大きくなっているのだろう、と思う。

※今(2019年3月)では、18歳という年齢的なこともあってずいぶん痩せたが、達者にやっている。

そんなそんな。