見出し画像

リアルタイム

2022.04.25

きょうは4月末締切の原稿が提出できて、気分が軽い。

三十年

きょうは、尾崎豊の命日らしい。没後30年が経った。
若い頃から、音楽にはほとんど興味を持つことがなくこの年齢になってしまったけれど、高校生の頃に聴いた尾崎豊の歌にだけは、とても反応した。
没後30年経った今も彼の歌は聴き続けられているけれど、夭逝したことや、遺した歌詞のテイストが時間を経たことで、なんというか……違う何かが付加されている聴かれかたをしている気がしている。
いや、聴かれかたなんて変わっていって当然だからそれでいいのだけれど。でも変わっていったからこそ「リアルタイムで聴けた」ことが貴重に思える。
バスケ部の同輩たちが部活をサボって行った代々木でのライブ『LAST TEENAGE APPEARANCE』に歯を食いしばって行かないことを選択したことをよく覚えている。

音楽を聴かない僕にとって、高校時代の尾崎豊への傾倒があまりにも特別だったので、エッセイにも書いている。
そう言えば……と思って探したらあった。
このエッセイ自体、僕が29歳のときに書いたエッセイみたいだから、今から約25年前の作品だ。そのときからもう「リアルタイムで聴けてよかった」と思っていたから、このタイトルを付けたのだと思う。
自分でも懐かしかったから、読んでください。


「リアルタイムの意味」

 社会人になって間もない頃、僕は毎日を右往左往していた。

 周りの人たちの顔と名前がようやく一致しはじめたある休日。先輩の車の助手席に座っていた。よくわからないまま参加した会社の野球の行き掛けのことだ。カーラジオからニュースが流れた。

「本日未明、歌手の◯◯さんが死んでいるのが発見され……」「若者を中心にカリスマ的な……」

 先輩達の話題にうまく入り込めずにいた僕は、そのラジオの声を聴いていた。
 「ああ、1つ終わったなあ」とぼんやり考えていた。

 その人の唄を初めて聞いたのは、17歳の時だった。
 それまで音楽にはまったく興味がなかった。
「これ、聴いてみ」
 同じバスケット部のヤスハルがカセットテープを差し出した。
「俺、音楽聴かないよ。わかんないし」といって受け取ろうとしなかった。
「いいから、1回聴いてみろよ。減るもんじゃねえし」
 なかば無理やりカバンに押し込まれた。確かに減りはしないけど、後で「どうだった」と聞かれるのが億劫だった。貸してくれた奴の「俺はこんな曲が好きなんだ」という無言の自己主張を踏みにじる訳にはいかない。よくわからなくても「よかった」と答えなきゃいけない。興味のない人間にいいも悪いもわかるわけないのに。
 誰のなんというアルバムかすら、確かめないまま持って帰った。
 家に帰って、もうずいぶん使っていないデッキにテープを放り込む。
 まず、声が印象的だった。それまでに聞いたことのある音楽では、声は音の一部でしかなかった。でも、この人のそれはまぎれもなく「声」だった。その声には圧倒的な存在感があった。歌詞も鮮烈だった。唄っているというより、訴えている。それが新鮮だった。ほぼ同年代の人間に「いい加減に気がつけよ。おまえら何で平気な顔してんだよ」と言われているようだった。バスケットしか知らない高校生の気持ちをざわつかせるにはそれで十分だった。
 翌日、廊下で立ち話をしている僕に、ニヤニヤしながらヤスハルが近づいてくる。
「どうだった?」
 確信に満ちた尋ね方だった。それがなんとなく気に食わなかった。
「よかったんじゃない」
 できるだけ普通に言った。
「やっぱりな」
 鬼の首をとったように勝ち誇っていた。そんな表情には気づかないふりをして、テープを返しながら言った。
「とりあえずダビングしといてよ」
「だろ? 絶対気にいると思った。そうかそうか、智もやっと音楽の良さがわかってきたか」
 ヤスハルはカセットを無造作にポケットに入れながら「明日、持ってきてやるよ」と言って、嬉しそうに教室に戻っていった。
 翌日、約束通りにダビングしたテープを受け取った。頼んでもいない歌詞カードのコピーまでついていた。
 部活が終わって、家に帰って、何度も聴いた。毎日聴いた。
 ヤスハルの音楽的興味が別のところに移っていってもまだ聞いていた。彼にとっては大勢いる「いいな」と思うアーティストの一人でしかなくても、僕にとっては1/1だった。自分でも意外なくらいハマっていた。以後もずっと聴きつづけていた。

 そのアーティストが数年前、若くして死んでしまった。僕よりも3つ年上だったのに、いつのまにか僕が3つ年上になっている。
 今でもCDすら持たない僕に、少なからず影響を与えている唯一のアーティストの話である。


聯合新聞網

これは、台湾の新聞的なサイトだろうか。
『猫のいる家に帰りたい』からエッセイが2編、転載されている。短歌がないのが惜しい。

【動物上好戲】仁尾智/有貓的日子 | 繽紛 | 閱讀 | 聯合新聞網 (udn.com)

なんのために

昨日、「『なんのために』は大事だ」と書いておいて、なんだけれど、例えばこの日記はなんのためでもない。
これで報酬が発生するわけでもなければ、それほどためになるわけでも、勉強になるわけでも、文章がうまくなるわけでもない。
でも、書く。
「なんのためでもなくたって、やりたければやっていい」のだ。

在庫切れ

現在Amazonでは在庫切れ。楽天ブックスでは「入荷予約(2022年05月上旬発送予定)」になっている。

『三十一筆箋 −猫猫−』の感想

そろそろお求めいただいた方々の感想が届き始めていて、うれしい。近日中にお取扱店をnoteにまとめてアップしようと思います。


そんなそんな。