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Cafe SARI . 4 「 ニゲルの花嫁 」

「サリィちゃ~ん、いるぅ?」

店の奥のキッチンで今夜の料理を仕込んでいると表の方から声が聞こえた。お隣のフラワーショップ『 LAPIN(ラパン) 』のオーナー、友美さんだ。

「はぁ~い、今いきまーす!」

3月も半ばを過ぎているというのに朝晩の冷え込みが半端ない。仕事帰りに一杯やるのに温かいスープがあると、心もお腹もきっと落ち着くだろうと思い、今夜は具だくさんのポトフを作った。鍋の火を小さくして蓋を少しずらしておく。あとは仕上げの塩加減を調整するだけだ。

「ごめんなさい友美さん、お待たせしました」

「忙しいのにごめんね~、仕込み中でしょ?いい匂いがしてるわ~」

「なんかこのところ花冷えが続いて寒いでしょ?あったかいものがいいかなぁと思って、ポトフにしたの。ハーブを入れたから香りがいいでしょ」

「ほんと、いつまでも寒くて嫌になっちゃうわね。だからこれ、見て!クリスマスローズがようやく入ったのよ。たくさんあるからお裾分け。お店に飾って」

両手いっぱいのクリスマスローズは淡いモーヴピンクや深いワインカラー、そして白からグリーンに変化の途中のものなど様々な種類が入っている。八重の花びらのフリルが清楚な中にも華やかさが漂ってとても美しい。沙璃はクリスマスローズが大好きで、季節になるとお店のウェルカムフラワー用に友美に仕入れを頼んでいた。


“クリスマスローズ” という名がついていても、本場のヨーロッパと違って日本での開花の時期は2月から3月がピークだ。白い一重の花びらの “ニゲル” という原種がちょうどヨーロッパのクリスマスシーズンに咲くのでこの名がついた。

「わぁキレイ!今年は遅いなぁと思ってたの。でもこれ、ちゃんとお支払いしますよ。いつも良いものを仕入れてもらってありがとうございます」

「いいのいいの。こちらこそサリィちゃんがこのお店を始めてから、帰りにうちに寄って花を買って下さるお客さんが増えて助かってるのよ。ほんと、お互い様だから。それに今年は特に寒くてクリスマスローズが遅れちゃったからね。お詫びの印よ。どうぞ飾ってちょうだい」

「ホントにいいんですか?とっても嬉しい!ありがとうございます」

沙璃は友美からクリスマスローズの束を受け取るとアルミのバケツの花器にたっぷりのお水を入れて無造作に生けた。クリスマスローズは地面に咲く自然な姿が美しい。あまり作り込まず、ざっくりと生けた方が様になる気がする。

「あれ?友美さん、ニゲルは無いのね」

沙璃はクリスマスローズの中でも、原種の白いニゲルが特に好きだった。寒さに堪え忍ぶためにうつむきがちに咲く他の交配種と違って、すっくと真っ直ぐに伸びて顔を上げた白いニゲルは、沙璃の心とリンクして気持ちが前を向く大好きな品種だ。

「あぁ、ごめんなさい。ニゲルは…今回は入れてないの」

「ふぅん、そうなんだ。私、あのシンプルな白が好きなんだけどな」

「ごめんね、なんだか気持ちが乗らなくて。ダメねぇ私。次回はちゃんと入れるわね」

どうも様子がおかしい。これは何かあるなと沙璃は友美の顔を覗き込んだ。


「ねえ、なんかあったでしょ」

「やだなぁもう。サリィちゃんにはすぐに見透かされちゃう。……ちょっと聞いてくれる?」

友美とはこの店を始めるにあたり、店舗の下見に来たときに挨拶してからの付き合いでかれこれ3年になる。友美は沙璃より5つ年上で、Cafe SARIのオープン前に店の内装やレイアウトの相談にのってもらううちに仲良くなった。明るくて気さくな友美は沙璃のことを親しみを込めて “サリィちゃん” と呼ぶ。

しっかり者で姉御肌の友美は夫の将太と二人でフラワーショップを営んで10年になる。ウサギ小屋のように小さいからと、店の名前をラパン(フランス語でウサギ)にしたと聞いた。可愛いお店はいつもお客さんがいて繁盛している。友美は毎日忙しそうに店を切り盛りし、手には水仕事でできたアカギレが絶えない。先日沙璃が愛用しているハンドクリームをプレゼントしたらとても喜んでくれた。近くに身内のいない沙璃は友美を姉のように慕い、普段から何かとお世話になっている。

「どうかしたの?またいつもの夫婦喧嘩とか?」

「まったく、腹が立って仕方がないのよね」

どうやら友美は将太とまた喧嘩したようだ。喧嘩するほど仲がいいとはよく言ったもので、喧嘩のたびに友美は沙璃に話を聞いてもらって気持ちをなだめるのだが、ほんの二、三日経つとまた元の仲睦まじい二人に戻っている。ばかばかしいと思いつつも、沙璃はこの二人のように元夫とも喧嘩すればよかったといまだに後悔する。神経の細い夫にいつも気を遣って言いたいことも言えず、口喧嘩など一度もしたことがなかった。最終的に夫の精神が破綻したのも、もしかすると元々自分たちの夫婦としてのあり方に問題があったのかもしれないと、今更考えても仕方のないことをつい思い返してしまうのだった。


「なぁに?また腹の立つことでも言われたの?」

「ニゲルよ」

「なに?」

「昨日これを市場に仕入れに行った時ね、彼、私のとこを『ニゲルみたいだ』って言ったのよ」

「なにそれ。真っ白で可愛い花に例えられてなにが腹立つの?」

「あらサリィちゃん、あなたニゲルの名前の由来、知らない?」

「そういえば。知らないわ。一体なんなの?」

「『ニゲル』って『黒』って意味なの」

「え?白い花なのに黒?って、それどういうこと?」

「ニゲルの根っこの色よ。根っこが黒くて葉や茎には毒があるの」

「へぇぇ、知らなかったぁ」

「だからね、彼は私のことを『腹黒で毒がある女』って言いたいわけよ。冗談だとしても許せないわ」

「まさかぁ、そんなことあるわけないでしょ。それは友美さんの思い込みじゃない? 第一、ニゲルの根が黒いとか毒があるって、将太さん知ってたの?」

「そんなの知ってるに決まってるでしょ!花屋なんだから。しかもその時、ニゲルの脇にはこのロマンティックで色とりどりの八重があってね、それと比べてニゲルはなんだか地味で陰気な感じがしてとっても嫌な気持ちになっちゃって。それからなんとなく彼と話す気にもなれなくて」

「そうかなぁ・・・、私は清楚で可憐なニゲルが大好きよ。それに将太さんは根が黒くて毒があるなんて、もしかしたら知らないかもしれないじゃない。聞いてみたらどう? あぁ、自分からは聞けないか。じゃあ、私が聞いてあげる!」

「そう?じゃあ、お願い!このままモヤモヤしてるのもイヤだしね。後で店が終わったらここへ連れてくるから、サリィちゃんそれとなく話を振ってくれる? 『お隣、今夜は美味しそうなポトフがあるわよ』って、旦那を誘ってみるわ」

「おけー、任せといて!クリスマスローズのお礼に、私がお二人の仲を修復してみせるわ」


ラパンの閉店時間、20時を少し過ぎた頃、友美と夫の将太がCafe SARIに連れ立って現れた。喧嘩の最中だけあって、二人の空気感がなんだかぎくしゃくしているのが見てとれる。沙璃は慎重に、でもわざとらしくないようにいつもの接客を心がけた。

「えっと…お二人ともボンベイのソーダ割りでいいですね?」

「えぇ、お願いします」

少し緊張気味に友美が答える。固い表情の将太は黙って頷いた。まだ二人は仲直りしていないとみえて険悪な雰囲気だ。

沙璃は10種類のボタニカルが芳醇に香る、美しい水色のボトルが特徴のボンベイサファイアを使ってジンリッキーを作り始めた。ウィルキンソンで割ってライムを絞った甘さのないシンプルなロングカクテルはさっぱりと爽やかでどんな料理にも合う。二人が初めてここへ来たときに勧めて以来とても気に入って、最初の一杯は必ずこれをオーダーしてくれるのだ。些細なことだが、こんなルーティンがお店とお客との距離感を縮めてくれて、場の空気が和らぐように感じる。沙璃はお客の味の好みを覚えるのは名前を覚えるのと同じぐらい大事だと考えている。

そして今夜のBGM、ビル・エヴァンスのナンバーはもう決まっていた。これも初めて二人が来店した時に、たまたまかかっていたのが友美のお気に入りのこの曲でとても喜んでくれたので、二度目からは二人が訪れると必ずかけるようにしている。『Someday My Prince Will Come / いつか王子様が』。この曲は結婚前に二人でデートした時に通ったバーでよく流れていたらしい。心浮き立つようなキラキラしたメロディが、若い頃の二人の思い出と重なるようだ。


沙璃はひとしきり差し障りのないお天気の話や、駅前商店街に新しくできたショップの話などをしながら二人の様子を伺っていた。時刻は21時を回り、今夜もグッと冷え込んできた。時間をかけて作ったポトフはしっかりと味が染み込んで、ごろごろと大きめに切った野菜も分厚いベーコンもとても美味しく出来上がった。ドライなジンリッキーに合うように、ポトフのトッピングに粒マスタードをアクセントに添える。心を込めて丁寧に作った温かな料理は人の心をほぐす力があると沙璃は信じている。もうそろそろいいかな?二人が程良く酔いが回り始めた頃合いを見計らって、話題を問題のクリスマスローズへと移していった。


「今日は本当にありがとうございました。大好きはクリスマスローズをたくさんいただいて」

沙璃は将太に向かって花のお礼を言った。

「いえいえ、注文頂いてたのに遅くなって逆に申し訳なかったね。気に入ってもらってなによりですよ。水揚げもうまくいってよかった。茎がしっかりしてる」

カウンターの隅に飾られた花たちを見て将太は嬉しそうに言った。

「そうなんです。クリスマスローズは下向きに咲くから、水揚げがうまくいかないとどうしても花の重さですぐにぺしゃんこになってしまいますもんね。さすが将太さん、お上手ですね。ありがとうございます」

丁寧な仕事を褒められて気分が良くなった将太は少しずつ機嫌が良くなってきたようだ。よし、そろそろ本題に入ろう。

「そう言えば、クリスマスローズってたくさん種類がありますよね。私はこの八重花も好きですけど、やはり原種のニゲルが一番好きなんですよねぇ」

将太の目がきらりと光った。

「そうでしょ?僕もそうなんです。ニゲルの、あの清楚で真っ白な可憐な姿は実に愛おしい。僕ね、ニゲルを見るといつも思い出すんですよ。僕たちの結婚式の日のことを」

友美が隣で驚いたように将太を見た。

「結婚式?どんなだったんですか?」沙璃はすかさず将太に質問した。その横で友美が怪訝な顔で将太を見つめている。

「友美の白無垢姿があまりにも健気で可愛くて。凛として真っ直ぐ前を向く姿が、まるでニゲルみたいだなって思ったんですよ」

「まぁ素敵!そう言えば白無垢の角隠しはなんとなくニゲルの花びらを彷彿とさせますよね。そっかぁ、友美さん、ニゲルのような花嫁さんだったんだ」

「そうなんですよ。本当に可愛らしかった。あ!過去形にしたら怒られちゃいますよねw もちろん今でも可愛いですよ、と言いたいところだけれど。まぁ今は貫禄ついちゃってね。でも妻のおかげで今の暮らしが成り立っているようなものですから。10年前に僕が突然サラリーマンを辞めて花屋に転身したいと言った時、一言も反対せずに僕を信じて一緒に頑張ってきてくれました。苦労かけたからね、本当に感謝してるんですよ。だけれど僕は何故かいつも余計な一言を口走ってしまうようで。いや、逆に言葉が足りなすぎるのかな?昨日からこの人、機嫌が悪くてね。なんだか分からないけれど、こうして今夜は沙璃さんのところに誘ってくれたんで、そろそろ機嫌直してくれたのかな?なんて思ってるんだけど……」

将太が隣に座る友美の様子を伺う。友美はみるみる頬を赤らめ、その目にはじわりと光るものが湧いてくるのが見えた。

「なによぉ、誰がニゲルの花嫁よぉ、そんなこと今まで一度も聞いたことなかったわよぉ」

「そりゃそうだよ、言ったことないもん。恥ずかしいじゃん」

「性根が黒いからだと思ったじゃないよぉ。毒があるしさぁ」

「あん?なんの話だよ」

カウンターの向こう側ではもう犬も食わない話が始まっている。沙璃は笑いを堪えながら、二人の夫婦漫才をカウンターの内側の観客席で心地よく鑑賞した。


クリスマスローズの葉や茎には確かに毒性がある。しかし少量を用いることで、古代ギリシャではその薬効を利用して精神安定剤としての役目も果たしたと言われている。花言葉は「慰め」「いたわり」「安心させて」「不安を和らげて」などちょっとセンチメンタルな言葉が添えられていて、儚げなその姿にたおやかで控えめな、しかし芯の強い凛とした女性像が浮かび上がる。まさに献身的に夫を支えながら懸命に働いて明るく生きる、友美のような花ではないか。

目の前で嬉し涙を浮かべながら文句を言う友美、呆れ顔でそれに応える将太。二人の仲睦まじい夫婦喧嘩を見ながら、沙璃はとてつもなく羨ましい感情に包まれた。喧嘩できるっていいな。言いたいことを言い合って、想いをぶつけ合って、お互いがどれだけお互いのことを思いやっているのかが手に取るようにわかる。その言葉の奥深くにある「安心させて」「不安にさせないで」「あなたをいたわりたいから」「あなたを愛しているから」という純粋な思いが沙璃の心にしっかりと伝わってくるのだった。


カウンターの片隅に視線を移すと、そこにはうつむきがちながらも健気に咲く色とりどりのクリスマスローズたちが、二人にやさしく微笑みかけているように見えた。


「ねぇお二人さん。次回はニゲル、絶対に入れてくださいね!」

「はい!承知いたしましたっ!」

二人同時に沙璃に向かって頭を下げ、顔を見合わせてアハハと大きく笑った。

今夜もCafe SARI には、イングリッシュガーデンのようにたくさんの花が咲き乱れている。

その花たちは人々の笑い声であり、通わせ合う優しい気持ちであり。沙璃はその美しい花々にたっぷりとお水を与えて、ここにいつまでも咲き続けてほしい、そしてこのガーデンを守り続けたいと心から願った。クリスマスローズの花が終わる頃、ようやく春が訪れる。待ち焦がれた季節。本物の色とりどりの花々が街に咲き始める。



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