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交換日記235本、一年間ありがとうございました!

今年の1月から始めた、このタカーシーさんと交換日記、なんとか一年続きました。この日記で235本目です。読んでくださった皆様、そして続けてくださったタカーシーさん、本当にありがとうございました。

私は“日記を書く“ということが子供の頃から苦手で、本当に、過去に一度も続いた試しがなかったんです。今年の初めに当時のTwitterにそう呟いたところ、タカーシーさんがリプをくださって始まったこの「Verdeとタカーシーの身のない交換日記」。
お互い好き勝手に書こうねと軽い気持ちで始めたことが功を奏したのだと思います。時に対話的に、時に独り言のように、毎日でもなく書きたい時に書く、という緩い姿勢でつらつらと思いつくままに書いてきました。

私はこれまでの五年間、このnoteを続けてきましたが、書くという作業は自分との対話の時間でもあります。まずは自分を内省するところから始まる。これまで自分の中で温めてきたことやぼんやりと思い続けてきたことなどが思考の沼から湧き上がってきてはっきりとした姿を表した時、それを文章にすることで改めて自分の考えや人に伝えたいことを自覚することができます。

書くことは自分を知ることなのです。
私はこのnoteを始めてから、本当にたくさんのことに気付かされてきましたし、自分という人間の存在の意味を考えたり、これからどう在りたいかを考えるきっかけを与えてもらいました。
一番はっきりと分かったこととして、これから先の人生を自分はどう生きていきたいか、どんな風な心持ちで人と関わっていきたいかを自覚することができました。それはまさに“自分を知る”こと。
これは私にとってはとても大きなことでした。
こうして書くことを始めなかったら、きっとそんな思考は生まれてこなかったと思います。

そして自分一人で書くこととは別に、この交換日記は誰かの存在を意識して書くという、新たな側面をもってこのnoteと向き合う機会を与えてもらいました。
それは同じようでいて全く違うことでした。

例えていうなら、いつものnoteは、書いた文章を紙飛行機にして大空に向かって飛ばすような、大海に放流したボトルメールのようにどこへ流れ着くかわからない、誰に届くかわからない一抹の不安のようなものがあります。
それはそれで、予定調和でない受け取り手からの思わぬ反響をいただく楽しみや喜びはあるのですが、この交換日記はもっと親密で個人的な、それでいてとてもカジュアルで気軽な文章を書く楽しみを得られた感覚があります。

時に内緒話的なことだったり、「ちょっと聞いてくれる?」みたいなグチだったりと、一日の最後にその日にあった出来事を親しい友人に話すように、日常に寄り添う文章が書けたかなと思うのです。
それはひとえにタカーシーさんという存在のおかげです。
そしてそんなやり取りを読んで楽しんでくださった読者の皆さんのおかげです。
本当にありがとうございました。


また来年もゆっくりゆっくり、二人で文章を交換していけたら嬉しいです。
そしてタカーシーさん、たくさんの学びをありがとうございました。
フランス語講座もとても面白かったです。いまだに全然話せませんけれど。
でも、フランス語の興味はますます深まりましたし、これからも学び続けていきたいと思っています。
他では読めない哲学のお話もとても興味深かったです。また書いてくださいね。楽しみにしています。
一年間、こうして交換日記を続けてこれたことに感謝します。

それではまた来年。
よいお年をお迎えくださいね。

*アーカイブは下のマガジンからどうぞ。

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