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息子

2024年。今年は自分を含め、うちの家族に色々と変化が起こるだろうと予測はしていました。去年の秋頃から。

息子の活動が活発化してきて(詳しくは書きませんが、今どきの何か配信したり描いたり作ったりしているフリーのクリエイターです)、親の庇護の元である現状の「守られた環境」から旅立つ準備を始めました。

今年に入り、その準備を具体的に少しずつ始めていて、親の私的にはいよいよなんだなと感慨深いものがあります。

息子にはこれまで、親の勝手でしなくてもいい苦労や経験をたくさん強いてきました。中1の時に離婚して母子家庭になり、生活するのに精一杯で両親の揃った一般家庭のように子供にお金をかけることができず、満足な教育を受けさせてやれませんでした。
幸い(?)本人には大学に進学する希望は無かったのですが、今となっては無理をしてでも興味のある分野の専門学校にいかせてあげるべきだったという後悔はあります。

高卒で就職した場所では理不尽なハラスメントを受けて精神をやられ、一年もたずに離職。心身の回復の様子を見ながらアルバイトにつき、いつまで続くかなぁと心配しておりましたが、気がつくと今では店長の次のポジションになるまで経験を積んで仕事を続けることができました。(現在も時間を調整しながら継続中です)

それと平行して、自宅では自分の「やりたいこと」をコツコツと続けてきました。多分一番最初は中学生くらいから始めたことではないかと思います。私は子供のすることにはほとんど首を突っ込まず、「好きなら頑張ってやりなね」くらいのスタンスで離れたところからいつも見ています。何をしているかは知っているけれど、口を挟むことはしませんでした。

「好きこそ物の上手なれ」とはよく言ったもので、本当に好きなことって寝食忘れてできるものなんですね。それは人によるのかも知れませんが、息子の場合は特に顕著で、作業に夢中になると冗談ではなく“飲まず食わず“に近い状態になるので少々危険なのです。その時ばかりは食べ物や飲み物を横からそっと差し出すようにしますが邪魔はしません。途中でぶった切るなんてとてもできない。それほどに集中しているのです。恐ろしいほどに。

根っからの職人気質なんだと思います。凝り性だし始めると途中でやめられない。また、枠に囚われることを嫌う性格なので、学生時代は結構キツかったと思います。横並びを強いられるというのがムリなんです。あと、他人と比べられることをとても嫌います。それは物心がつく頃からずっとそうです。

母の日の参観日に合わせて「お母さんの顔を描きましょう」と言われても、描きたいものしか描きたくない息子はそのストレスをぶちまけるように、黄色のクレヨン一色で“ムンクの叫び“にそっくりな顔を画用紙にはみ出る勢いで描きました。幼稚園の頃の苦い想い出です。(本人は全く意に介さずケロリとしていましたが、それを参観日に大勢のママたちから憐憫の視線を浴びながら見つけた時は、私の顔がまさに“ムンクの叫び“になりました。(ということはある意味「母の顔」としては正解だったのか……)

「あぁ、描きたくなかったんだな」と思いました。いえ、その時にきっと描きたいものが他にあったのです。それは「母の顔ではなかった」ということ。

息子のことを一番理解できるのは母親である自分だと思っています。だから息子がすることは全肯定です。何故ならそこには必ず息子の理由や意図があるから。それはまだ口のきけない小さな頃からですから説明のしようがないのですが、私には伝わるので分かるのです。

何せ息子は口が遅く、幼稚園の年少さんの夏休みまでほとんど喋りませんでした。それまでの間、息子は脳内にずーーーっと言葉を溜め込んでいたのです。塞き止めていたダムから水が溢れんばかりに一気に喋り始めた時は、驚きと共に「いつかは話せる」と信じて疑わなかった自分を褒めてやりたかったです。

小さな頃から黙々と物事に取り組んでいる時はそっとしていました。超絶マイペースで頑固なところがありますが、それをあまり表には出しません。例えばそれが人と意見が違ったりしても、言い争ったりすることを好まないので黙っています。しかしそれで自らの思考を変えたりするわけではなく、黙って聞いてはいるけれどもその通りに従うわけではありません。自分のやりたいことは決して曲げない。無理矢理に軌道を変えさせられたりするようなことがあるとすれば、暴れたり声を荒げたりはしない代わりに黙って「ムンクの叫び」を描くだけです。なのでそれを見たこちらが自分のエゴに気づかされてハッとなる。私は息子を育てながらたくさんのことを学んだような気がします。

子育ては学びの連続です。ある意味母親である自分自身の、人間としての素の部分をあらゆる角度から炙り出されるようなところがある。正解だと思っていたことが全くの独りよがりなエゴだと気づかされること山のごとし。日々修行だと痛感させられることが嫌という程ありました。

それは相手が息子だからこその気づきであったと思うのです。娘の場合とは全く違います。娘の子育てもある意味大いに「自分育て」ではありましたが、娘は私と気質が似ていることもあり、何を考えているか、何が言いたいのかがよく分かるし共感も多かった。なので対話でお互いが納得するまで話すということを自然とできました。
この「対話をする」がスムーズに誰とでもできるとは限りません。できるかどうかは相手によると思います。その土俵に上がってくれるかどうかは人によりけりです。例え親子であろうとも。

息子は上がってくれないことがほとんどでした。上がる前に諦めてしまう。「言ってもムダだ」と思ったら貝になって、もう何を言おうと向き合ってはくれません。これは親としてはとてもしんどいことですが、それもこれも私の育て方のせいなのです。結婚していたときの私の状態が悪かったせいです。きっと息子はたくさんのことを言葉に出さずしてたくさんの場面で諦めてきたのでしょう。だからこれまでのことを全て包含した上で、私は息子を理解しているつもりです。いえ、それでもまだまだなのかもしれませんけれど。


話がそれました。
とにかく息子は頑張ったと思います。私には到底できない。しかしそれは自分がやりたいことを全力でやる、ということが遂行できたからこその結果なので、その環境を少なくとも最低限には整えてこられたことを、私は親としてよかったなと安堵しています。

ここからあとはもう自分次第です。雛鳥がようやく翼を広げて飛び立とうというところまで来ました。飛び立ったなら、あとはどこまでも高く飛んで、広い広い世界をたくさんの人たちと関り合いながら経験していってほしいと思います。

あと数ヵ月経ったら家を出る、と予定を立てている息子。そうと決まったら親はもろ手をあげて応援するのみです。それまであと少しの間、せめてできることは食事の世話くらいでしょうか。これまでもなるべく丁寧にご飯を作ってきたつもりですが、あと少しとなると余計に気持ちが入ります。「うちに帰ったときはおいしいご飯がいつでも食べられる」という記憶を安心に変えて、送り出してやりたいなと思っています。

寂しくないと言えば嘘になりますが、それより今は息子の今後の活躍が楽しみでなりません。でももちろんそんな言葉は口には出さないです。好きなことだからこそ頑張れる。黙ってたって勝手に頑張る。それはとっくに分かっていますから。

母親の私は愚直に息子の未来を信じています。


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