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小説の定義とは

このnoteで文章を書くようになってもうすぐ2年が経とうとしています。

最初はエッセイのような日記のような、自分の体験談や考えていることなどをつらつらとなんの脈略もなく書き散らしていました。

本当に、書き散らかすという感じ。誰に読んでもらいたいとかフォロワーを増やしたいとか、そういったことは一切考えず、自分の内なる声を発散して終わり。それでスッキリすれば満足でした。

少しずつ書くことに慣れてくると、ちょっとした物語を創作したくなってきて、短編小説のようなものを書いてみました。これが意外と楽しくて、自分なりにテーマを決めて書いたり、誰かのためのサプライズギフト的な文章を創作したりして、自分のためから読み手のための文章に変わっていきました。

届ける相手がいると、目的意識が生まれてそれまでとは全く違った目線で書くことになり、視野が広がりました。言葉選びにも慎重になるし表現も多様になります。そうして書いたあとには受け取ってくださる相手からのレスポンスが私にとっての予想していなかったギフトになりました。非常にありがたく、楽しく、嬉しいお言葉をたくさん頂きました。

縛りがあると窮屈な反面、その中での創作は自由に書くのとは違った学びや発見があります。それはそれで書くことの練習になりました。

やがてもう少し長い文章を書きたくなり、連載小説に挑戦しました。一日一話ずつ、5000字以内位のものを10日間、毎日こなすことによって筋トレのような状態です。とにかく書き出す。書き出すと不思議なもので次々と言葉が滑り出てきます。毎日トレーニングしているスポーツ選手のような感じでしょうか。走りだすと段々と体の調子が良くなっていくように、書いているうちにスムーズに筆がのってくるような。リズムにのりさえすればどんどん出てくるようになります。

書く内容は「自由な創作」で時間の縛りを設けてみました。それはそれでプレッシャーがあり、焦る気持ちと完走したいという気持ちのせめぎあいは結構スリリングで、仕事が遅くなって時間がない時は電車の中や帰宅途中歩きながら思い付いたフレーズや言葉を忘れないように急いでスマホに書き留めたりしたのも楽しい思い出です。(危ないからやっちゃダメなんだけど!)

そうやって小説モドキというか、創作文章を書くようになって思うところが、書けば書くほど「もっと面白いもの、もっと深いもの、もっと余韻の残るもの、もっと何かひとの心に届けたい」という欲が湧いてきます。そんな筆力もないくせに。人間の欲望というのは本当に底知れないです。

自分の文章を「小説」などと言うこと自体、おこがましいものがあります。いいところ脚本です。それさえもおこがましいのですが。

書く内容を掘り下げるためのリサーチや勉強が全然足りません。登場人物の心理描写やその背景、情景描写や比喩の表現方法など課題は山積みです。会話の羅列や起こったことの説明だけでは「小説」とは言えない。自分の書きたいものはその先にあるように思います。

かといって、書くことを仕事にしているわけではないので、やはりそこにまずは「たのしみ」がなければやる必要もないことです。誰がわざわざ頼まれもしないのに自分から勝手にしんどい思いをする必要があるでしょうか。書くことによって自分が何かを得られるから書くのです。その「たのしみ」は読み手がいてくれるからこそ味わえるものだと思っています。

自分が考える「小説の定義」はまだまだ手の届かないところにありますが、目標は高いほうがやりがいがあるしそこへたどり着くまでの過程をも楽しめると考えると、そこへ向かって努力しようとする足取りも軽くなるというものです。

読み手に何かを感じ取ってもらえる文章。毎日の生活のなかにちょっとした楽しさや喜び、ワクワクやドキドキを感じてもらえるような文章を書けるようになりたいな、と思います。そしてその上で自分が一番楽しんでいるというのが理想。いつか自分が納得できる「小説」を書くことを夢に、これからも書いていきたいなと思っています。


いつも読んで下さって本当にありがとうございます!


来週の金曜日あたり、妄想小説を投函予定です。ここには、ある縛りがあります。「お題」ですね。それもまた一つのエチュードです。楽しく書けたらいいなと思います。

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