それは偶然なんかじゃなくてVol.5
「ナオ……ナオ…」
遠くでかすかに声が聞こえる。
…誰?
意識を呼び覚まそうとするけれど、昨晩飲み過ぎたせいで頭は朦朧としていて目が開けられない。
ここは…何処だっけ?
目を閉じたまま声のする方へゆっくりと腕を伸ばしてみる。
榊さん…
「ナオは飲み過ぎすぎると余計に朝がダメだなぁ。だから言ったろ?最後の赤はやめとけって。」
私の記憶の中の声が聞こえる。榊さんといるときは安心していつだって飲み過ぎてしまうのだ。
後悔と共にもう少しこのまま甘えていたくて隣に横たわるその温かな身体に手探りで抱きついた。
キスがほしくて背中に回した手を上に滑らせていき髪に触れた途端、想定外のその感触にハッとして我に返った。柔らかな巻き毛。そこはジュンヤの腕の中だった。
「ナオったら、ゆうべは飲み過ぎたんじゃないの?」
ビックリしたことを悟られないようにジュンヤの胸に顔を埋めた。ドキドキが止まらない。まさか、寝ボケて違う名前を言ったりしなかったか?そんなこと確かめられるはずもないけれど。
持つ必要もない、いや持ってはいけない罪悪感と共にわき上がってきたジュンヤへの愛しさが胸の奥底からひたひたと溢れてくる。
その柔らかな巻き毛に指を滑り込ませて優しく唇をかさねた。
ぽってりとしたジュンヤの唇はキスをするととても気持ちがいい。柔らかなマシュマロのよう。こんな唇を持っている人間は、キスをする相手の唇をどんな風に感じるのだろう?私が感じる気持ちよさの方が、ジュンヤが感じるよりもずっと深いのだろう、なんだか悪いな…などと頭の中はやけに冷静だ。やっと目が覚めてきた。
「そんなキスされたらオレ、また欲しくなってきちゃった…」
ジュンヤが身体を起こして私の上に覆い被さるように体制を変えた。腕を立てて真上から真っ直ぐに見下ろされた視線に少したじろぐ。
「ねえ、いい?」
返事をする代わりに照れ隠しに微笑んでゆっくりと一度、瞬きをした。
上から降りてきたジュンヤの顔が一瞬だけ悲しい表情をしたように見えたが、気のせいだろうか?この子は時々こんな顔をする。誰かを思い出しているのだろうか。何か悲しい過去があるのだろうか。昨日までの私のように誰かと私の間で揺れているのだろうか…。私はジュンヤの事を何も知らない。知っているようで実は何も分かっていないのだろう。
そう思うと同時に、子犬のように甘えてくるキスに揺らいでいた感情が飲み込まれていく。女として求められる幸せが体の内側からジワッと込み上げる。
この週末はずっとこうしてジュンヤと抱き合っていよう。もう他になにもいらない。目の前で私だけを見つめてくれる人に、私は私の愛を注ごう。自分の中で誓いを立てると既にジュンヤを受け入れる準備ができている自分のカラダに気が付いて中心が熱くなるのを感じた。
没頭するジュンヤを強く抱き締めながら、ふと窓際に目をやるとカーテン越しに柔らかな朝の光を浴びる赤いラナンキュラスが微笑んでいるように見えた。
男の一人暮らしなのにジュンヤはいつも部屋に花を欠かさない。その優しい心が愛しさを増して伝わる。これを幸せというのかもしれない。そう思えば、私はこれから幸せになれると信じてもいいような気がした。
シャワーを浴びて出てくると、ベッドサイドのテーブルに置いたスマホが通知の点滅をしている。
何気なく手にとり、オンにしてみる。
『 榊さん 』
視界に入ったかどうか定かではないが、驚いた反動でジュンヤの視線を避けるように体をひねった。
タップして急いで開けてみる。
「ナオ 会いたい。月曜日の夜 いつものワインバーで待ってる。」
なに…。どうして。なんでこのタイミング?
私はもうあなたには振り回されないって決めたの。遅いよ。ムリだよ。
「どうした?」
背中越しにジュンヤが覗き込んできたから慌てて画面を消した。
「あ、なんでもない!母親から。たまには休みに顔見せてって。全然帰ってないから…。」
妙な間が空く。気付かれた?いや、見てないはずだ。というより、もう関係の無い相手のことだ。何も隠すことはないし、気に病むこともない。私は目の前のジュンヤだけを見ていればいいのだ。
スマホをベッドに放り投げてジュンヤに抱きついた。
「好きだよ、ジュンヤ。」
耳元で囁いて、全てを忘れるためにマシュマロの唇をもう一度ゆっくりと味わった。
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