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不妊治療のはなし⑤~治療当事者の気持ち~

こんにちは、ながつまさゆみです。
今回は、2度の人工授精失敗を経て体外受精に踏み切る際、そして踏み切ってからどんな気持ちだったかについてお話しします。

前回の記事はこちら↓

何故子供が欲しいか?どの程度、子供が欲しいか?

子供が欲しいと考える理由は人それぞれだと思います。
また、どの程度欲しいと願うかも人それぞれですね。

私の場合は、欲しいか欲しくないかで言えばもちろん欲しいという気持ちがありましたが、
自分の心身をすり減らし、大金を費やしてまでどうしても欲しいか?と言われると正直悩ましいところでした。

高度不妊治療までしたくせに?と思われるかもしれませんが(実際に知人にはそう言われました)、本当にそんな感じの気持ちでした。

愛する人との子が欲しいとか、自分の遺伝子を残したいとか、
正直あんまりそういう感覚ってなかったんです。

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私が子供を欲しいと思ったのは、両親のため、というのが一番でした。

私は一人っ子。
夫は3人姉弟ですが、姉2人のうち1人は結婚していますがDINKSで過ごしていくことを決めていて、もう1人の姉は30代後半ですが独身です。

つまり私たち夫婦が子供を産まなければ、双方の両親は孫なしになる可能性が非常に高いという状況でした。

実父母も義父母も「子供はいつなの?」などと無神経に聞いてくることはありませんでした。
恐らく、仮に私たちが子は持たないという選択をしたとしても、それを尊重してくれたとは思います。
ただ、口には出さずとも「孫の顔を見たい」という思いは強く心の中にあったでしょう。
出来るならその期待に応えて親孝行したいな、と思っていました。

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また、私の父は「子育てをして初めて一人前の大人になれたと思う。」とよく言っていました。

もちろん、子を持たなくとも人生を豊かにする方法は他にも沢山あります。
ただ、父の言わんとすることも、理解は出来ました。

一人の人間を育てるという事は大きな責任を伴いますが、
一方で大きく人間としての幅を広げることが出来るだろうと。

私もそんな父の言葉が耳に残っていて、人生経験のひとつとして子を産み育ててみたい、という思いもありました。

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実は、仕事のため、という一面もありました。

私はキャリアに関する支援を生業としていますが、
この仕事をしていると自身の経験がそのまま仕事の糧になっているなと感じることが多々あります。

上司とうまくいかなかった経験、臨まない人事異動をした経験、管理職として部下を持った経験、転職した経験…
自身が乗り越えたのと同じ壁に相談者がぶつかっていれば、より気持ちに寄り添うことが出来るし、具体的なアドバイスをすることも出来ます。

20代後半から30代の女性のキャリア相談の大半は、ライフイベントと仕事の両立の話です。
私の周りには子育てしながら仕事している女性も多く、その大半は悩み、職場や家庭環境に不満を抱きながらも、どう仕事と向き合っていくか試行錯誤していました。
そんな姿を見て、私もその経験をして、もっと彼女たちの気持ちや悩みを理解したいと考えていました。

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でも、繰り返しになりますが、
一方で子を持つことだけが全てではないですし、
子がいなければ幸せになれないのか?といえば、そんなことはありません。

強がりだったのかもしれませんが、
治療を始めてから最後まで(何なら妊娠した今でも)、
例え子供がいなくても、それはそれで楽しい人生を送ることは出来ると考えていました。

しかし、顕微授精までステップアップしないと、ほぼ妊娠は不可能
という事実まで突きつけられてしまうと、
ここでステップアップしなければ、子供を産むことはできない…

少し悩みはしましたが、我々夫婦は、それであればここまで来たならステップアップしようという結論を出しました。

ステップアップを決めてからの方が実はしんどかった

ただ、意外とステップアップすることを決めて治療を開始してからの方が何度も心折れそうになりました。

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まずは毎回の治療費の領収書を見るたび。
毎回2,500円~4,500円程度の診察料、検査料、薬代がかかります。
更に採卵周期になると、一気に支払い金額も増え、ウン万円の支払いが続きます。
それが毎月3回~4回…
自然妊娠出来る人もたくさんいるのに、こんなに毎回支払いがあるのか…

ここまでしてでも子供欲しかったんだっけ?
という気持ちに何度もなりました。

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後は、私がせっせと通院したり、治療のことを色々調べたりしている一方で
呑気にしている夫を見た時(笑)

仕方ないこととは分かっているのですが、男性は不妊治療の当事者にはなかなかなりにくい。
夫は、治療を進めていく中で少しは勉強してくれましたが、
クリニックに通い始めた当初は
俺に問題があるんだから、俺が病院通って治療したらいいんでしょ?
 さゆみは何が大変なの?」
と言うくらい無知で、その時は頭を引っぱたいてやりたくなりました(笑)

顕微授精へのステップアップを決めてからも、私が弱音や愚痴を吐くと
「しんどいのはさゆみだから、嫌なら治療辞めてもいいよ」というスタンスで話されることがありました。

それは彼なりの気遣いだったのかもしれませんが、
ステップアップするということは夫婦で決めたのだから、そこは一緒に頑張ろうって励ましてほしかったです。
私だって、何が何でも欲しいというほどのモチベーションがない中でも頑張ろうって決めて、自分を奮い立たせていたのですから。

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極めつけは、自己紹介の記事でもお話ししたように、
初めての採卵で5個も採卵出来たにもかかわらず、結局胚盤胞まで育ったのは1個だけ。
しかもその1個もグレード3CCだった時。。。

自己紹介の記事はこちら↓

移植当日に、改めて培養士の方から言われました。
「グレード3CCというのは移植するギリギリのグレードで、
 着床率は20%を切ります
 他のクリニックではC以下の胚盤胞は廃棄の判断をすることも多い。
 ただ、うちのクリニックでは5人に1人は妊娠出来ると考えて、
 グレードCの胚盤胞も移植対象としています。」

この言葉を聞いたときは、そんなギャンブルみたいな移植にウン十万円かけるなんてバカバカしいし、辞めた方が良いのかな…
私が何が何でも欲しい!という気持ちではなく、こんな中途半端な気持ちで顕微授精に臨んだから、痛い目見たんだ…
そんな気持ちになりました。

まぁさすがにここまで来ては引けないので、結局は移植するのですが。

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とまぁ、それなりにしんどかったり、思い通りにいかず落ち込んだりすることはありましたが、
私は「最悪子供が出来なくてもそれはそれで充実した人生を歩もう」と覚悟が決められていたので、
そこまで身も心も削ることなく治療を行うことが出来ました。

治療の終わり時も夫婦の中で大体決めていました。

周りの体外受精経験者の話を聞いても、同い年くらいの夫婦はほとんどが3回以内で妊娠していたので、4回くらいが目安かなと。
多くても、助成金の対象となる6回までが限界かなと思っていました。
終わりなくダラダラ続けるのは、さすがに疲弊することが予想出来ましたから。

不妊治療をしている人に対する一般のイメージって
・他の人の妊娠報告を聞いても素直に喜べない
・何が何でも子供が欲しいと願っている
・生理が来るたびに落ち込んでいる
・辞め時が分からない
みたいな感じではないでしょうか。
しかし、私のような心持ちで治療に臨んだ人もいる、という一例として見ていただければと思います。

次回はちょっと時間軸が前後しますが、採卵~妊娠判定までの体験談をお話しします。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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