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『小さな家の思想-方丈記を建築で読み解く』文春新書を出して⑯長尾重武

      松崎照明さんの巻頭言「小さな家の思想」
     雑誌『住宅建築』2023年2月号 no.497 
         特集 極小空間の醍醐味 

雑誌『住宅建築』2023年2月号が、松崎照明さんから届きました。一筆箋が挟んであり、以下のように書かれていました。

「長尾様
『住宅建築』の2月号にご著書『小さな家の思想』への返信を書きましたのでお送りいたします。御一読頂ければ幸いです。」

この素敵な通信に対して、以下の文章を、早速、メールでお送りしました。
 

松崎照明様

『住宅建築』二〇二三年二月号、拝受しました。

   特集:極小空間の醍醐味、面白そうに思います。ページを繰るとこの特集をめぐる貴兄の巻頭言が、中断の大きな文字、極小空間の醍醐味、をはさんで、「小さな家の思想」と題されて掲げられています。

 小見出し「小さなものは皆うつくし」という枕草子の文章を掲げて、それは始まります。引き込まれるように、思わず読みながら、大陸と日本の建築の作り方が鮮やかに対置され、その具体的な設計方法の違いが論及されていることに興味を感じます。

   柱割り、六枝掛けの方法から、畳の寸法で平面を決定する茶人の指図が、四畳半や大目畳、また書院造の座敷飾りに床、棚、書院が非対称に配されます。

 平面計画についても同様で、九間を中心として付加的に全体が構成される。パラディオの方法にも似ていながらそれと対比的な方法が浮かび上がります。
(この比較はとても興味深いと感じます。)

 身の回りの小さな発想を大切にする日本の歴史を振り返り、またその理由を尋ねると長明や茶人の数寄に行き当たり、明恵住坊や夢窓の亭の鮮烈な眺望、利休のミリメートルの単位の創意が見えてきます。

 平安時代の行者が山に入ったのは、貴族の考えへの批判があり、法然、親鸞、日蓮が山から出て、四国の修験道に近い、一遍が全国行脚を続けます。

 小さな建築にとって、は、その身体性こそが設計の核心といっていい。四畳半は方丈の広さ、在家仏教者、維摩居士の庵に由来し、その中には八千五百人の菩薩と声聞を入れることができたとある。座禅修行の合間に自ら花宮殿の縁を作った明恵は、「形を見ては八万億の功徳を念じ」、その中で広く深い仏門に入った。

 園城寺の行尊の歌、夢窓の文章が見事にそれを語っている。本当に必要なものをだけ、小さな庵に持ち込む必要がある。山の行者の法華経、良寛の正法眼蔵だけでいい。

 そして最後に、手元に届いた、私の『小さな家の思想-方丈庵を建築で読み解く』から標題を借りているとして、この本についての手短な紹介があって終わっています。

 こんな素敵な返信を受け取ることができるなどとは、全く夢にも思いませんでした。

 さらに頁を繰りながら、この雑誌全体の特集に何度も感銘し、妻も、またあなたがやりたいことばかりじゃない、と一言。そう全くその通りだと思います。

 ありがとうございます。そして、『小さな家の思想』の足りないことを沢山教えられました。ありがとうございます。重ねてお礼申し上げます。

                              長尾重武

PS: 松崎照明さんは、建築史研究仲間の親しい友人です。武蔵野美術大学で長年、日本建築史の講義を受け持つ非常勤講師を続けられています。また、彼は、建築意匠研究所を主宰され、いくつもの大学で講師を担当し、活躍されています。

 今回の『小さな家の思想-方丈記を建築で読み解く』を考え始めたころ、『武蔵野美術大学研究紀要』に、「鴨長明「方丈庵」―小さな家の詩学」(No.39,2009.3 pp.15-26)と題する、鴨長明に関するはじめて論文を書き、抜き刷りをお渡しした時、一読すると、すぐに、『往生要集』を是非読むといいと思います、との助言を受けました。

『往生要集』は北枕や阿弥陀信仰、地獄と極楽浄土について書かれていることは知っていましたが、きちんと全文を読んだことがありませんでした。

 その日すぐ最寄りの杉並区立中央図書館に行き、中央公論の世界の名著シリーズの源信『往生要集』を借り出し、一気に読みました。

 そして、鴨長明について、その生い立ち、生家と父方の祖母の家、鴨川の河原近くの庵/大原山の家/略本『方丈記』/草稿としての略本『方丈記』/略本『方丈記』に描かれた「方丈庵」/大原山で建てた組立式の「方丈庵」/「方丈庵」に宿る「死の形」について、

 翌年の大学研究紀要に論文を書いたのでした。題して「方丈庵の成立過程」『武蔵野美術大学研究紀要』(No.41,2010.03,pp.5-16)でした。

 これによって、『小さな家の思想-方丈記を建築で読み解く』の骨格が出来ました。何よりも、方丈庵が阿弥陀信仰の庵であり、そこで死の形を内包する庵だということを主張したのです。 

 松崎照明さんに、大きなお礼と、感謝を捧げたいと思います。あの日の助言が無ければ、一冊の本には成長することはなかったろうと思うからです。



 

  

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