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幻想の建築家 ピラネージ 4

長尾重武『ピラネージ―幻想の建築家』中央公論美術出版、2024.4 

≪牢獄≫ 第二版、一七六一年
 
≪牢獄≫ 第二版は、タイトルが代わるのである。≪発明された牢獄 Carcerid'Invenzione G. Battista Piranesi Archit Vene≫と。 初版と第二版の間の一番大きな相違は、第二版であらたに二枚の新しい図が加えられ、初版の十四図から、二枚増えて十六図となったことだろう。それらの新しい図は、冒頭あるいは巻末に加えられたのではなく、中途に挿入されたのである。つまり、新たに加えられたのは、第二図、第五図であり、この二つの図が、≪牢獄≫の性格を一変させたといっていい。すなわち、あらたに加えられた第二図と第五図は、≪牢獄≫を古代ローマ時代の牢獄に変形した。そのほかの図については、程度の差こそあれ、必ず加筆があり、変更があった。その内容を整理しておこう。

<牢獄>第二版 第一図

    第三図や第六図、第一〇図、第一二図などには、陰影の追加、道具、機械、橋の追加、しかしエッチングの基本的な建築構造には、重大な変更はない。 第一図、第四図、第七図、第十四図などには、上述の変更に加えて、はるかに重大な構造的変化が認められる。第八図、第十三図、第十五図にはさらに重要な付加や、背景や地面中央のかなり広範な部分が完全に抹消されて、描き直されたものがある。
最も大きな変化が、第十一図と十六図であり、それらはもとのものを確認できないほど手が加えられた。これらの完全に描きなおされた部分は、第二版のために付加された新たに造られた二つの図版と、表面と技術の驚くべき類似性を示していることに誰もが期待するであろう。この最後の一連の描き直されたものに、ピラネージの強い意識が現れていると見るべきかもしれない。

<牢獄>第二版 第三図  

  
 その一方で、ほとんどわからないような警備の変化が、第10図に見られる。他のものと比べて極端にの一方で、ほとんどわからないような警備の変化が、第10図に見られる。他のものと比べて極端にられて、ピラネージ自身の名のもとに出版されると、値段も一七六一年当時、二〇パオリで売られた。初版より第二版はかなり売れたようであるが、いぜんとしてただちに強いインパクトを与えるようなことはなかった。というのも、ピラネージの版画店にやってきた旅行者は、ローマのピクチャレスクな眺めをのみ欲したからである。

 増補された≪牢獄≫の形態への細部が描かれた孤立性にもかかわらず、図版は、初版において支配的なように素早くまたスケッチ風に制作された名残りが今なお見てとれる。 

<牢獄>第二版 第二図

≪牢獄≫第二版の謎、古代ローマ化
 第二版において、ピラネージは表面を詳細に表現しようと試みたが、光についてもそれは同様である。<煙る火>がその典型例といえる。光そのものが、きわ立たされているのである。
 上に述べたような≪牢獄≫の形態の表面の変化は、線のより密度の高いパターンをもたらし、その結果、図版は全般に暗くなっていった。けれども、見てきたように、彼の変更はそれぞれの場合について研究される時に、たんに形態を暗くしただけではなく、それらの異なる表面やテクスチャーをいっそう細心にきわ立たせた。ピラネージの一七五〇年代を通した作品にしたがうならば、こうした変化は完全に首尾一貫したものであることが理解される。すなわち彼が行って来た注意深い考古学的研究とともに、彼が発展させてきた関心やグラフィックな能力にかかわるものなのである。
 加えられた第二図は、より複雑で、特殊であり、力強い執行人と生き生きした見物人をともなった拷問の場面が支配的である。<拷問台の男>には八つの銘文が示されている。≪牢獄≫第二版の古代ローマ的性格は、図版中にはっきりした銘文をそなえた二つの版の注意深い検討によっていっそう明確になる。四つは上部のポートレート胸像のそれぞれの下に記されたもので、あとの四つは最下部の様々なポートレートに記されている。

 その中の七つは文章の断片から解読される名前である。それらの人名は、タキトゥスによって論じられた。ローマ市民とはっきり特定され得るものである。タキトゥスの『年代記』第十六書の17-21パラグラフに登場するのである。アニキウス、ケリアリス、アナエウス・メラ、カイウス・ペトロニウス、バレア・ソルナウス、トラセア・バエトウス、そしてアンティスティウスである。この文節は皇帝ネロの感情を害したか、彼らの富を彼が望んでいた、そうしたすべての人に対するネロの陰謀についてタキトゥスが弁明するくだりで出てくるである。この図版の中央部の場面はタキトゥスの同じ文章による、ネロの恥知らずの罪業を描いたものと考えられる。たしかなことは、ピラネージが描いた拷問は同時代のことではなく、古代ローマの犯罪を示したにちがいない、ということである。

 <牢獄>第二版 第十六図

 第十六図<鎖のついた支柱>の第二版は、銘文のある三つのモニュメントを示している。詳細は省略するが、リヴィウスの『ローマ史』からの正確な引用である。話はアンクス・マルキウスの治世に関するもので、このローマ初期の皇帝のうちで、信心深さと強さの両面で最も立派な人物の一人である。この特別な一節は、彼が徳の衰えに対して、都市の中心部に、最初のローマの牢獄を確立することで、異なる住民を混在させることによって対抗したかについて記述していて、「成長する恥知らずを恐れよ」と読める。
 
 ピラネージは古代ローマの牢獄についての知見をここでも示しているのであって、牢獄にかんする普遍的、一般的な何かについて言おうとしているわけではなかったのである。

<牢獄>第二版 第七図

ピラネージの幻想
 ピラネージの初期修行から≪牢獄≫まで、ピラネージの訓練は明らかに新しい建築に向けての創造のためだったというべきだろう。ピラネージにとって、それこそが関心のまとだったのだ。
ヴェネツィアでの初期訓練は、パラディオ主義的建築訓練はごくわずかで、しかも精彩を欠いている。その後の、ヴェネツィアの「景観画」(ヴェドゥータ)やカナレットの「奇想画」との出会い、さらに舞台美術への関心は、流行りのビビエーナ一族の、一点透視画法を葬り去った図法、シェーナ・ぺル・アンゴロの展開に、ピラネージの作品は見事に専心していったと見ていい。来るべき建築創造への希望、それこそが彼を突き動かしていた動機、情熱であった。それこそが、地誌的景観画「ヴェドゥータ」に出会い、これに取り組む以前のピラネージの建築、空間創造の想いを伝えていると考えられる。
一七五〇年代以後、ピラネージは本格的にローマの古代遺跡・廃墟の研究に邁進するのだが、それ以前のピラネージにとって、あるいは、ローマで古代遺跡、廃墟に出会うまでは、それらは大きな関心ではなかったように思われる。
そうした、彼の強い関心以前、言い換えれば、一五七一年に初めての作品カタログを印刷した時の、いわばライフワークを確定したときに示された二つの大きなテーマ
≪ローマの古代遺跡≫と≪ローマの景観≫以前のピラネージの内的な情熱、それを名付けることは難しいが、ここではとりあえず≪奇想≫と言いたいところだが、それでは当時の≪カプリッチオ≫と重なるので、あえて避け、ありふれた言葉であるが、≪幻想≫と言っておきたい。
 ≪ローマの古代遺跡≫と≪ローマの景観≫、この成功したピラネージのライフワークは、もし、上述の≪幻想≫が無ければ、平板なものに終わったにちがいない。二つのしっかりしたテーマに沿って、数々の達成ができたのも、また実に変化ある達成ができたのも、ピラネージが培ってきたあの≪幻想≫のお陰なのである。
 彼の極めて特殊な≪牢獄≫が、早描きの初版から、ローマ化された再販、急に密度を増し、表現を変えて、≪ローマの古代遺跡≫の側にピンナップされて位置付けられたが、≪牢獄≫のテーマはすでに≪幻想≫作品の中に登場し、当時のありふれたテーマであった。したがって、ここにこそ、ピラネージの≪幻想≫の迷宮が表現されたのであった。

<牢獄>第二版 第十図
<牢獄>第二版 第十五図


 

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