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映画が苦手じゃなかった話 2024-01-14

・映画がずっと苦手だった。

・その原因は注意散漫であることとか、暗いところがあまり好きではないこととか、あと普通に死恐怖症であることとかが原因だと思っていた。実際、家で金曜ロードショーを最後まで見られた試しがないし、すずめの戸締まりはずっと逃げ出したかったし、ゴジラ-1.0の序盤は目を閉じていた。

・ただ、最近友人に誘われて劇場に映画を見に行くことが何度かあったのだが、すべて最後まで集中して見ることができた。つまり、別に映画は苦手じゃなかったのだ。家で見られないだけで。

・じゃあなんで今まで映画に苦手意識があったのかと思い返すと、小学校に入っているかどうかというほどの古い記憶に遡る。

・そのくらいの小さい頃は、近所の百貨店の中にあるチェーンの美容院で髪を切ってもらっていた。その美容院には何故か壁掛けのテレビがあり、いつも何かしらが流れていた。

・ある日美容院に行くと、トイ・ストーリーが流れていた。どれかはわからない。4ではない。

・当時からディズニーやらピクサーやらには全く興味がなかったので、流れていたトイ・ストーリーには少しも関心を示さなかった記憶があるのだが、ふと鏡に反射するテレビを見ると、そこには焼却炉から逃げるキャラクターたちの姿が目に映った。

・2歳のころから死恐怖症であるわたしには、その光景があまりにも恐ろしく見えた。しかも未就学児前後の子供の感性なんて本当に意味がわからないので、必要以上の恐怖を感じてしまったのだと思う。

・それに加え、最初から見ていたわけではなく、かといって最後まで見たわけでもないので余計その光景の恐怖だけがこびりついた。

・流れている映像が「トイ・ストーリー」という「映画」であることは理解していたので、それが原因で映画に対する苦手意識が一気に生まれたのだと今になって思った。

・ただ、未だに死恐怖症は強く残っているので冒頭にも書いた通り一部の映画は未だに苦手だ。というかそもそも、スケールの大きいものが苦手(生命を感じるから)(年号クイズが見られないレベル)なので規模の大きいことをすることがある程度前提になっている映画が性に合っているのかというと、合ってないんだろうなあと思う。




・ということを帰り道に考えた映画の話をします。考えたことはあんまり関係ないです。

・「笑いのカイブツ」を見た。好きなラジオのハガキ職人がなかなか難しい感情になっていたのが面白かったので。

・端から端まで絶望で埋め尽くされていたはずなのに、見終わったあとは少し深呼吸するだけで不思議と清々しい気分になった。

・なんというか、ツチヤ以外の登場人物の印象が妙に薄かったな。

・これは狙った演出によるものなのか、偶然そうなったのか、はたまたわたしの感性の問題なのかはわからないが、それによってツチヤの孤立した人生を追体験しているように感じた。

・カイブツって結局何だったんだろうか。劇中で「カイブツ」という言葉はたしか使われていなかったし、それに似た表現も特になかったはず。

・ツチヤ本人を「笑いのカイブツ」と表現しているのだろうが、どうもしっくりこない。わたしが逆張りオタクすぎるからなのか?多分そうなのだが、それ以外にも「カイブツ」が居る気がする。

・全編通して考えると、ツチヤが "ああ" なってしまう原因というのが最大のカイブツだとは思う。ただ、その原因が明言されていないので考えどころである。

・ツチヤを囲む環境に蔓延る「面白い以外が正しい」という常識か、はたまた、ツチヤ自身が信じていた「面白いが正しい」という常識か。どちらもツチヤを「カイブツ」にする原因としては十分だ。

・こう考えると、かなり「常識」というものがキーワードになっていたように感じる。常識というか、ポリシーとかもキーワードかもしれない。盗作を疑われたときの「パクるくらいやったら死にます」という強い表現がすごく印象に残ったんだよな。

・このシーンは明確な盗作した描写もしていない描写もなかったので、一緒に見に行った友人と帰ったあとLINEであーだこーだ言いながら話したりしていた。帰り道は2人とも感情が重たくなりすぎて一言も喋らなかった。

・その言い合いの結論が、リライトだったんじゃないかという。

・実際、他人のネタを書き写しているシーンもあったので見ているときは「いや、写してたやん…」と思っていたのだが、先述の通り「死にます」という表現と矛盾しているように感じたので、そこで1番しっくりきたのがリライト。

・あとあんまり詳しくないのだが、劇中の架空のコンビの漫才を指導した令和ロマンが、NSC時代に講師のネタを勝手にリライトしたというエピソードがあるらしく、友人はそこからリライトという説を出したらしい。ふーん。

・こんなごちゃごちゃ言ってるけど、全部原作のほうに答え書いてあるんだよな。映画を見たそのままの足で原作を購入し、4時間ぶっ通しで読んで読了してしまった。それのせいで頭の中で情報が氾濫しているみたいなところもある。

・映画はやはり映像化というか、物語として成立させるために出来事の順序が整えてある。変えているというほどでもない。例えるなら、アニメ版とマンガ版のエヴァみたいな感じ。

・というか、久々に本を1冊読み終えた気がする。ずっとダラダラと同じ本を読んで、未だに読み終わっていない本があるし、積ん読に至っては5冊くらいある。

・やはり映画という強制スクロールみたいな状態にさせられると、そのままの勢いで本にも集中できるのかもしれない。しかも原作だから関心・熱をそのままにして享受できるからより一層。

・あー、ちょっと、やな例え思いついちゃった、どうしよう、書こうかな、うわー

・映画という強制スクロールの後に原作を読むと、ステージは変わらずにそのままリロードだけをされるかのように集中できますよね!

・それでは。

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