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【エッセイチャレンジ17】好きになる予感

「これきっと好きになっちゃうやつ」と思いつつまんまと好きになることと、
「これだけは絶対ハマらないわ」と思いつつ好きになってしまうこと。
人生では一体どちらが多いのだろう。

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後者でいえば真っ先に浮かぶのがコーヒー。
なんと私は27歳まであの至福の一杯が飲めなかった。いや、実際は営業の仕事をしていたので、飲む機会は多かったが単純に嫌いだった。苦手とかのレベルではなく純度100%の嫌い。
苦いやら酸っぱいやら、なんだかよくわからない複雑な味が折り重なる琥珀色の液体を「わああ!苦味と酸味のバランスが絶妙ですね」とかなんとか聞きかじったコメントを添えて、ぐいっと飲み干す。一刻も早くこの苦行を終えたい一心で。

しかし、アイスコーヒーならこの技が通用するのだが、ホットだと一気飲みというわけにはいかない。「舌を火傷するリスク」vs「苦い液体を長時間口に含む苦痛」を選ばなければいけなかった。

それほどの苦労を持ってして難所を乗り越えても、そのあと決まって胃もたれに襲われるのだ。
だから、優雅な仕草でカップを口に運び「いい香り」なんて言いながら、ゆったりと味を楽しむ先輩のことを、羨ましいを通り越して怨めしくさえ思った


コーヒーだけは、美味しいとのたまう人々の気持ちが一生わからないだろう。わかるはずがない。

・・・とまで思ったのに、今や1日3杯のコーヒーが癒しなのだから人というのはわからない。
キッチンにはコーヒーミル、カフェラテ用のミルクフォーマー、コーヒー豆のストック、切らしたときの応急処置としてドリップパックまである。
コメダ珈琲の株購入まで検討している。

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意外性というインパクトでは後者に劣るが、直感通り好きになってしまったこともある。この場合、自分の直感は正しかったと思いたい補正もあるのだろう、より深く強くはまってしまう可能性が高い。
それがわかっているから、私はこの「好きになる予感」が恐ろしいのだ。


ライトなところで言えば、漫画。
中学生のとき、とっくの昔に人気作品となっていた「花より男子」に没頭したことがある。
しかし、この名作の存在を知ったのは2年くらい前。あらすじを読んだ瞬間「あ、これはハマっちゃうやつだな」と思ったから、伸ばした手を引っ込めたのだ。
だって、その時ですでに20巻以上続く長編作品であった。(しかも連載中)中学生のお小遣いで手を出したら破産レベル。ハマったらやばい。身を滅ぼす。君子危うきに近寄らず。

そう思ったのに、友達の家で何気なく一巻を読んでから、お年玉をはたいて古本屋でまとめ買いするまで早かった。ダメだダメだと思っているのに惹かれてしまう。引力に抗えない。漫画の内容以上に乙女チックな葛藤を経験した中3の受験期。母に怒られたことは言うまでもない。
私の初めての大人買いの思い出である。


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「初めまして」から30分で、この人のこと絶対好きになってしまう、と思った男性がいた。理想を全部詰め込んだような人で、誰かに心を読まれているような怖さすら感じた。

それが旦那との出会いである。

・・・とならないのが人生の面白さ。


その人には一度食事に誘っていただいたことがあるが、断ってしまった。

「畏れ多い」という卑屈な気持ち、
「近寄ってボロ出したくない」という見栄、
「理想とは程遠い遊び人だったらどうしよう」という疑い、
 
「ハマってしまったらどうなるのかわからない」という自分の根本を揺るがす不安。

いろいろな感情が折り重なり、始まる前から疲れ果て、それきり彼と私の人生が交差することはなかった。

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もちろん、及び腰になる時点でもう好きになっていた。片手の指で足りるほどしか会ってないその人のことを未だに思い出し、今も夢に出てくるのだ。10年経ってもそうなので、20年経っても同じであろう。

「もしあのときに戻れたら」なんて想像をしようにもその人との物語を紡ぐほどの材料もないし、今の私は十分すぎるほど幸せなのだ。
始めもしなかった臆病な私の、優しく虚しい声なき失恋である。

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