見出し画像

『精神系』と呼ばれるつらさ

私が患っている病気である『統合失調症』そういった病名を聞かされて、誰が何を想像するのか。

全部を一括りにして『精神系』。確かに呼びやすいですよね。そして括りやすいです。精神を患っている人を纏めるにはものすごく都合のいい呼び方。

けれど、精神的な病気にも本当に様々な種類があって実は一括りにはできないほどに精神的な病気には種類があるのです。

けれど、一般の方にそれを理解してもらうということ…。私はそれを、半分以上諦めています。変な言い方ですが、殆どしっかり理解はしてもらえないだろうと思ってます。

というのも、一番近くにいる家族でさえ何も分かってはくれないのですから。薬を大量に飲んでるため、頭の回転は悪く何かを覚えても忘れてしまう。とにかく私は『忘れ』がひどくて。

私には一人の兄がいます。兄は、私が病気で苦しんでいる姿を見ていて、薬を飲んでいることも知ってます。けれど、理解が出来ないんですね。薬を飲んでいるから覚えも悪く、覚えても忘れてしまうし健常者のように頭の回転が速いわけでもなく。

けれど、兄はただ私が『忘れやすくてボーっとしてる人』という認識しかしてません。

友人にしてもそうです。私の小学からの友人には年の離れた兄がいてその兄は長い間精神的な病を患っていたそうです。今では、バイトなども始めているらしく、経過はなんとか順調だそうです。

けれど、その友人は精神的な病気の苦しさがどんなものなのか、知ってるはずなのですが私と遊んでも、無茶なことばかりを言い出します。

私に普通の暮らしは無理です。ただ午後一番から友人と雑貨屋巡りをしただけでも、ごくごく当たり前に3日は身動きが取れません。それくらい、外に出るのは負担で、普通に振舞うのは困難で。

友人からしてみると、私があまりにも普通に見えるから何故仕事をしないのか不審に思っているようです。それくらい、私は周りからは普通に見えているようです。そういう風に必死に振舞っているからなんだけどね、とぼそっと言いたくなりますが…。

本題に戻りましょう。

『精神系』という言葉は、私は大嫌いです。

精神的な病を患っている方が事件を起こすたび、そしてその事件がニュースや新聞に載るたび「ああ…また立場が悪くなる……また誤解が増える……」と、溜息が出ます。

なにも、精神的な病を患っているすべての人が暴力的な考えを持っているわけでもなく、中にはそういう人もいるでしょう。けれど、それがすべてではないことを知っていて欲しくて。

私が知っている病人さんというのは、ほぼ自分のことで手一杯です。自分の生活を維持していくので精一杯の方が多くて、どれだけ自分は平穏に暮らしていけるのか、薬と付き合いながらどれだけ安らかな毎日が送れるだろう、そういう風に考えている人が圧倒的に多いです。

私もその一人です。

薬と上手に付き合って、どうやったら毎日を出来るだけ楽しく豊かに過ごせるのか、そういうことを考えて生きてます。

仕事は出来ません。

何も出来ません。

けれど、なにも役に立たないこのまま結婚もせず独りきりで死んでいくであろう私の人生ですが、この世に何かを期待するわけでもなく。

けれど、話は逸れましたが精神的な病を患っている人が誰しも誰かを傷つけたいと思っているわけでもなく、一括りにされるのが一番良くないことなのだと私は思います。

『精神系』のやつってさ、とこう話し出すのは簡単でしょう。

けれど、その精神系の人たちも日々、病気と闘いながら生きています。差別的な意味合いにも取れる『精神系』という言葉。

病人を抉って、傷つけるそんな言葉が世間に流れていることがとても悲しいです。簡単に括れる言葉を簡単に使う。当り前のことかもしれませんが、その『精神系』の人も、日々病気と闘っている闘病者だということを忘れて欲しくありません。

精神的病を患っている方に聞いてみるときっと皆、病気を患う前に戻りたいというと思います。普通に働き、普通にユニバとかに遊びに行ったり、友人とごはんを食べに行ったり。

ごく普通ことすら出来ない私たちは確かに、『精神系』と括られ差別の対象になりうるかもしれませんが…私たちも必死に生きてます。

そして、一人一人、個別の考えを持ってます。

そこは健常者の皆さんと同じところです。皆、個別に考えを持ちつつ闘病生活に励んでいます。

『精神系』という言葉で一括りにせず、まずは個別のその人を見て欲しいです。『精神系』と呼ばれる人たちにも人格はあって、闘病生活を送りながら生きています。

その一人一人の病人さんの声を聞いて欲しいです。

『精神系』と括らず、一人一人の考えを知って欲しいと思ってます。きっと、普通の人たちが多いと思います。差別的な言葉で括ることを止め…独りの人間として認めて欲しいなと、一介の病人の私ですがそう思います。

あともう一つ、私がここnoteさんに記事を載せる時にハッシュタグで『精神系』と載せてますが、実に不快で出来れば載せたくないタグなのですが、認めたくなくとも、この言葉が一番、健常者の方に分かりやすいかと載せた時点で、私にも過失があるのかもしれませんね。認めて知っているかもしれません。

病人が認めたくなくとも『精神系』という言葉が独り歩きしていることを認めてしまっているのかもしれません。

簡単に括れる『精神系』という言葉には、様々な意味があってけれどその言葉によって傷つく人や違和感を覚える人がいることを分かって欲しいなと思い、この記事を書きました。

この記事によって何が変わるとも思えませんが、そういう風に感じる人もいるんだよということを知っていただきたかったのです。

たかが言葉一つ、されど言葉一つと言ったところでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?