見出し画像

書ききれないまとまらないあれこれ

再び記事を書きます。情緒不安定だけど、言葉にして吐き出さないと明日に支障を来すのでここでなんとかします。

時と場合によるけど、軽い気持ちで発した言葉が、刃物みたいになってしまってその傷が相手にいつまでも残ってしまうようなことももしかしたら今後あるかもしれません。
私は、人から言われたり聞いたりしたことを深読みしたり勝手に間違った解釈したりして、ひとりでダメージ受けるタイプです。だけどだからこそ「自分が発する言葉は、相手にとってそうはならないはず」と驕っている部分もあったと、ようやく気がつきました。

そしてADHDの性質があるから、カッとなって(我慢ができなくて?とも言うのか)衝動的に言葉を発してしまうこともある。それも言葉は大して吟味されていない素のままが届いてしまう。言葉は刃だということを、よくよく自覚して過ごそうと思います。

思い出してみると、私は例えば複数人で、ある人の悪口を言っていたり、誰かと誰かが言い争いまで行かなくても強い口調で話している場に出くわしたとき、大抵怖くなって逃げ出すか涙が出てくるのを一生懸命ごまかすかしてた気がします。強い拒否反応がでるくらいなのだから、立場が変わったと思って、今回のことのようにならないように、意識できたはずなんですけどね……。うまく行かないですね。

なにが言いたいのかももうよくわからないけど、大事にしたい人がいたら、これからもその人とつながっていたいのであれば、うざい(この言葉はもう古いかな)と思われてもいいから、言葉を尽くして話をしておくべきだと思います。それが相手に届いても、届かなくても。どうせ嫌われたりもう話もしたくないと思われるなら、徹底的にやったほうがいい。それは、今回のことで身に染みてわかりました。

人生は一度きりだし、偶然でもなんでも、出会えて、ひとときでも話ができてそれが幸せで、かけがえのないものだとしたら、失くなる時まで、一生懸命大事にしすぎるくらい大事にしないとな、と思います。

今日、ぼーっとスマホをみていたら若い世代の中で自ら命を断つ人が増えている?というようなニュース記事をみました。(うろ覚えです)
私は本当に小さい頃から成長しないクソみたいな人間性で、色々面倒なことも抱えているから、時々漠然と「いなくなりたい」と思うことはあるし、失敗もしまくって、同じ轍を踏みまくるような愚かな奴だから、自分を終わらせようとする人の気持ちも、おこがましいけど、すこしはわかる気がします。
理由はひとつじゃない。つらいと感じる大なり小なりの何かがあって、それらが複雑に絡んでいたりして、それを受け止められるかどうかも個人差があり。ある時に、それが決壊したり、私のようにすんでのところでなにかがあって運悪く(良く?)生かされてしまうような人もいたりするんだと思います。

私はこれからも時々「生きててすみません」とか「いなくなりたい」と思うことがあるだろうけど、煮詰まったら寝るとか、カラオケで大きい声を出して歌うとか、ご飯を食べるとか、人に縋る以外の何かで、ごまかしながら過ごしていこうと思います。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?