光をすみずみにあてて、見えない自分を見る人間関係
自発的に「物書き」であるということは、言葉にできない余剰分の思いが内にものっすごく有る人間、ということなのかもしれない。その意味では私は物書きにぴったりだ。言葉を紡ぐけど、言葉にならないものがあるから言葉を紡いでいる。この動機は逆説的なような、まるで自己完結していく曼荼羅のような……。
コミュニケーションのための言葉と、ぴったり形にできないことを少しでも形にしてみたくて創造する言葉と。
同じ言葉なのに両者の働きは違っていて、私には後者も必要になりがちなので「書いている」気が