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LIT2022レポなし観劇感想

ライフ・イン・ザ・シアター2022の長い長い主観レポートを書かせていただいたのとは別に、さらにまだ観劇感想も続きます。笑
(感想もレポートに充分入ってるじゃん、とは思いつつ)
お暇にお付き合いいただける方はよろしければ…。
*ライフ・イン・ザ・シアター2022 
http://lifeinthetheatre.jp/


観劇・感想レポートを書き終えて…。

舞台観劇終了後

個人的な感想として、26場の最後にロバートが見えない観客の拍手に応えて言う「この瞬間にこそ報われる」という場面で、お芝居を1場から観てきた自分が感じたのは、日常の中で役者ではない私も、誰かに評価をしてほしいとか、褒めてほしいとか、そういった事ではなくても人生をやってきて、今、この、「素敵なお芝居を目の当たりにして、心が揺さぶられた、感動した」という、「この瞬間にこそ」報われているといえばそうなんだよな。と感じて、毎回涙が溢れました。回を追えば追うほどにジーンとしてしまって涙が止まりませんでした。
「ありがとう!」という気持ちでいっぱいでした。

ロバートがまるで客席にいるわたしたちを”仲間”かのようにして「全員を代表して」と言ってくれて、「あぁ、すべての人が、何かの瞬間に報われていたのならいいな」とも思いました。

私はお芝居を観るのが好きだし、ドラマや映画、作り手や役者さんたちに救われていることが多いなと感じる人間なので、余計にこの場面では、「この感動を味わうために日々、頑張って乗り越えているんだもの。」と、感じたのかもしれません。笑(実際、このお芝居を観るために日常を頑張ったと言っても過言ではありません)

だからこそ、作品を作ってくれている作り手の方々へ感謝も届けたいし、こちら側(受取手)に届いているよ、と伝えたくもなってしまうけれど、ジッと黙って拍手を送ることしかできない「今」のご時世のもどかしさも感じたりしています。(そして今回、こう暑苦しく語ってしまったわけですね💦)

「褒められたい訳じゃない」「評価されたいと思ったら終わり」と、芝居のなかでロバートが語っていたけれど、それでも人は自分のしたことに対し、酷評されるより褒められた方が嬉しいのもサガですし。笑
実際にロバートも喝采を受けて「報われる」と語っている。
求めてはいない、求めるためにやっていない、というのと、与えられたそれは似て非なるもので、やはり人を活かす(生かす)ものにしていると感じます。(承認欲求もありますものね)
ロバートが自分の報われる瞬間を思い出し、また「明日」へ続く一日一日を、楽しんで、挑んで、生きていける、そんな希望をほんのり感じられるラストだったように思いました。

ロバートのいわんとするところ…。

そして、ロバート自身が語っていたたくさんの言葉の中に潜んでいると感じていたもの。
「魂の形」についての話というか、ロバートの思う「役者の人生」において大切に感じている、誇りのようなものだったのかなと感じていました。

・言葉ではなく有機的に伝わる

そう言って、敢えてハッキリと伝えないロバートの意図するところが何だったのか。
わたしが思うには、役者という職業はある意味とても”特殊”な職業ゆえなのかな?ということ。
自分の人生と切り離せない”舞台の人生”というのは、実際、雑貨屋にいる自分も、舞台の上でセリフを言っている自分も、同じ”自分の人生の時間”ではあるものの、役者の仕事においての舞台上の人生というのは、”自分ではない他人を演じている時間”でもあるわけで、そこで発せられる”ことば”は、”用意された役柄の人生における言葉(セリフ)”。自分の意図したものではなく、与えられ、決められたものを言っているに過ぎない。だからこそ敢えて、「言葉ではなく有機的に伝わる(セリフの裏側にある、素の自分から伝わる態度のような)」ものを重視していたのではないか?と感じました。

・スタイルとは

ロバートの言葉を借りれば「スタイルとはなんでもなくて、ただの”中身”を表すだけの”形”でしかない。」
中身がなければスタイルは、ただの入れ物(紙袋)のようなもの。学びながら恐れず進み、背筋をシャンと伸ばして(物理的にではなくw)役者同士助け合いながら後進に背中を見せながら、魂の探求者として(だから賭けにも出るし、冒険にも出るとロバートは言うんだな)成長して行くのだ。

軸には「役者として」という部分が強くあった上で、ジョンがオーディションを受けて来た日の会話にあったみたいに、「相手のことはコントロールできないけれど、自分の行動や意志はコントロールできる。」とも言っている。
口で伝えるのではなく、有機的に伝わるものとして、「態度」として伝わると感じているからこそ?ロバートは分かりづらい言葉で(本人はそのつもりはないのかもですが)何度も日常的に大切だと感じていることをジョンに伝えようとしていたのかな。と。

外側のスタイルを紙袋の"素材"を変えるように"見せ方"を変えてみたとしても、肝心の中身をどう形作るか?ということが、有機的な「態度」に現れる。そのことの方が大切だ。ということだったのか?
本番前にも関わらず喧嘩のようになってしまったのは、自分がリスペクトされていないと感じた”態度”が、悲しかったり許せなかったのかもしれない…。

・お互いの個人的な関係性において、態度を抜きにした"舞台の人生"とは何か?

あれだけストレートには伝えないでいて、「態度やお互いへの思いやり、マナーが大事」とロバートは繰り返し言っていたように思う。それはもしかしたら、自分たち役者は舞台の上では自分の人生からは切り離せない時間を生きているけれど、そこで話す言葉やセリフは決して自分のものではない、その裏にある自分自身の心の声は決してその瞬間、”言葉”としては伝えられないものだからこそ、マナーだとか態度だとか、信頼関係、助け合い、そういった「有機的に伝わるもの」を頼りにしたかったのではなかろうかと。
それゆえに「態度を抜きにした舞台の人生」は、確かに「なんでもない」となるのでしょうね。中身のない、演じているだけの時間。それこそ、その時間そのものは「紙袋」に似たものだと感じたのではないでしょうか。

実際、舞台の上で「台本読んできて」とは、マイクのついている舞台だったらとても言えないだろうし、口パクするにもお医者さんの衣装みたいにマスクしていたんじゃ伝えられないですもんね。笑 それで医者の場面だったのか!と気づいたときには、さすが!何年も再演されているだけある!よく出来てる!と感激しました。(どこ目線からの…という感じですが💦)

でも、本当に伝えたいのは「言葉」では簡単に語れない部分の「魂の声」みたいなものだったのかもしれないと感じています。
舞台上の、演技においてだけの「助け合い」や「信頼関係」だけでなく。

・カノンのように繰り返す日々と過ぎていく時間

ロバートはジョンに出会ったことでいろんな心の変化や揺らぎを感じたのだろうなぁと思います。
いい役者だと認められる若い役者に出会えた喜びと、一方で自分自身に訪れた変化やそれに戸惑う自分自身の気持ちだったり。俳優としての焦り、誇り、渇望。
魂の探求者として、友として、舞台上の人生でも分かり合える役者同士、仲間でいたい相手がジョンだったんじゃないかなぁ。

1場で「今日の寝室の場面、よかったよ」というロバート。26場でも「今日の階段の場面、よかったよ」というセリフ。
ロバートの脱ぎ散らかした衣装や道具を片付けていたジョンの脱ぎ散らかしや放り出した道具を、今度はロバートが拾って片付ける様子や、いつもはロバートがタバコを吸っていたのに、最後にはジョンがタバコをふかしていたり。
7場で追いついたり追い越されたり、先に走っていってしまうジョンの姿が全体の流れのようで、ほんの短い場面なのに後から考えるほど、全体を表しているようで印象的でした。

衣装何変化??

・衣装リレー

たくさんの衣装のなかでも上手く使い回して別のシーンにも利用されるものだったり、シーン替えの際にスムーズに短く変えられるようにという流れが面白かったです。
着せ替え人形のようにお2人、ベースは下着となるお揃いのような深いネックのアンダーTシャツと、ロバートは黒い十部丈のアンダーパンツ。ジョンは衣装下着。(そして恐らく衣装下着の下にさらに黒のアンダーパンツ?)
それぞれ何着くらい洗い替え用があったのだろう?笑
勝村さんの方は大丈夫かと思われますが、舞台上での”下着姿”って、それこそ”万が一”があってはいけない危機感のある衣装だとも思うのですけれど、今回は年齢を重ねていくロバートとジョンの対比的に、ぶかぶかよれよれシルエットのロバートとタイトなシルエットのジョンというイメージでもあったんじゃないかなと思いました。
勝村さんはサッカーをされていたりしてスマートな体型でしょうし、ロバートのように”お腹が気になる”ってことはなかったのでしょうから、ゆったりとしたアンダーパンツを履いていることで体型の”だらしなさ”みたいなものを演出していたのかも?と感じさせました。
ジョンの方も、よくありそうなグレーや黒ではなく、派手すぎず、でもオシャレな感じが絶妙で、それを皆さんで色々考えたのかどうなのかと想像するのも楽しいものです。笑(そしてラジオ*で言っていた通り、「清潔感」も大切にされたことでしょう)*2022/5/27 DJ:武田梨奈さん "こだわりな時間"出演時

肌に1枚重ねるものから始まって、カツラ、靴下、衣装に合わせる靴、帽子、鞄、財布やタバコなどの小道具まで、その移り変わりの流れも見ていてとても楽しかったです。
ジョンの1場の白い靴下から始まって、そのまま戦闘服>白タイツの中にも白靴下を履いたままトレーニングウェアに着替え…弁護士のスーツの時にはステージ上で靴下を黒に変える。この流れさえも、凄い!面白い!と思って見ていました。😊

・余談

ちなみに、SNSでたまたまジョンの着ていた台本読み13場のスウェットパーカと同じものをあげている人がいて、可愛くて色違いを買ってしまったのですが、笑(同じ色が謎に恥ずかしくてスウェットパンツも欲しかったけれどブランドわからず💧)
実物はふわサラ素材で少し起毛したような、肌触りのいい、軽い着心地の良いものでしたよ。(なんのレポート…笑)

こんな感じのブルーのタイダイパーカ

ちなみに2、高杉さんのひとつ前の舞台「てにあまる」でも茎水くんの早着替えがありましたが、あれもやはり、ネクタイは絞めた形状のまま、シャツのボタンは面テープだったんじゃないかな?と、思えました。(時々ジャケットの襟が変になっちゃったりはありましたよね?面白くて考えさせられる舞台だったなぁ)

後ろだけ引っ張るとか輪っかのゴムだったり面テープだったり簡単ネクタイの図
制服とかにもありますよね。

ちなみに3、お二人ともボトム、靴の履き替えとも左足からで、思わず自分はどっちかな?と確かめたりしてみましたよね?
右利きの人ならでは?でしょうか。

千葉脚本によるロバートの背景

過去のLITを拝見していないので詳細はわからないのですが、悲劇喜劇*に記載されていた戯曲には、26場のロバートの語りが記載されていませんでした。
国名忘れちゃいましたが、「◯◯の港町や□□の砂漠の町へ…」ロバートが幼い頃に発したセリフに周囲の人が足を止めて次のセリフを待つ…という描写の部分。
ロバートは幼い頃から役者をしていたのか、それともその語りの中の出来事がキッカケになったのかという感じで、地方を巡回したりするような劇団の、広場で行われたようなオープンなお芝居での出来事だったのかな?と想像しました。
誰でもが見られるようなオープンな舞台で行われているところへ、幼いロバートが飛び入りでそのセリフを発したのか、ロバートを役者にしたがった父の影響で既にその劇団に所属して地方を廻っていた頃の記憶なのか、いずれにしてもロバートの役者の人生としての原風景のようなものだったのかなぁと、本当に役者が好きで、誇りを持っていて、そして人との交流が見えないロバートの唯一の家族との関係が見えるシーンでもあり、素敵だったなぁと。
そしてそれももしかすると、何度も同じ話をしている可能性もありそうな中、タバコ1本分、ゆっくりと穏やかに話に耳を傾けているジョンとの関係性がまた、穏やかで素敵な関係に辿り着いたのだなと思えて、なおさら愛おしさを感じたシーンでした。
*悲劇喜劇 2022/3月号 No.815

カーテンコール

東京の会場にも千葉さんはいらっしゃったと思いますが、ステージには出て来られませんでした。大阪の公演に帯同したことからか、地方千穐楽ではステージ上から勝村さんが「演出の千葉さんもいらっしゃるのでお呼びしたいと思います」と言って客席にいる千葉さんに声をかけ、地方の舞台は高さがあったためかステージに上がる時に舞台道具の椅子を舞台下に下ろし、舞台に上がるための踏み台に使ったのが始めのようで、以降、広島や福岡、札幌、金沢の公演終了時にも千葉さんの登壇もあったようでした。
福岡では上手から千葉さんがおりてきたからか、真宙くんが自分の椅子をステージ下に下ろして千葉さんが上がるのをお手伝い。先輩のしていたことを見てサッと同じことが出来るところがまた好感!
勝村さんは笑っている時は本当に楽しそうに見えて、両手を広げて真宙くんにハグを求め、ポンポンと背中を叩いて手を取り、2人で万歳をして深々とお辞儀をされていました。時々クチパクで、や〜…という感じで「ありがとうございます」と言っていたり、金沢では両手で投げキッスで退場していくことも。
札幌、金沢では満面の笑みというよりは感慨深い表情をされているように感じました。
真宙くんは勝村さんに拍手を向け、ステージ脇のスタッフさんにも拍手を向けて、勝村さんと手を繋いでの万歳、お辞儀の時には反対側の手はガッツポーズのように
(•̀ᴗ•́)و"グッと手を握っていました。
一度 大阪で(?) 広島*で投げキッスしたというお話があり、真宙くんファンは騒然。毎回やってくれていいんだよ?という思いは届かず、一回切りだった様子。笑
カテコで声を聞けたのは大千穐楽で勝村さんに促され、「え?俺!?」と戸惑いながら「えー、本当に最後まで演らせていただけて、本当にありがとうございます。」「今日は大千穐楽なので、演出の千葉さんもお越しいただきたいと思います」と、千葉さんを紹介。
椅子を下ろして待つ真宙くん。上がって自分で椅子を持ち上げる千葉さん。
このご時世のため、3人の生の声を聞けることはほぼありませんでしたが、そんな時こそSNSでスタッフさんたちが裏側の声を届けてくれることが嬉しかったり、演者の声を聞ける楽しみを補完してくれるものになっているなと感じます。
役ではなく、"舞台の人生"を生き終わった瞬間の役者さん本人に感謝を届けられる唯一の瞬間、イマドキはジョンが舞台で花束をもらって帰ってくるような、直接ステージで手渡すことは許されていませんが、でも、それくらい、観ている観客側は作り手の方々に「ありがとう」の気持ちを伝えたいと感じていることが、このしつこく細かいレポートと感想でほんのりとでも念が伝わればと思っています。(ダイレクトにはアンケートなどでお伝えしておりますが、足りない思いですよね、笑)
*まひらー(真宙くんファンの界隈での通称)さん情報により修正


最後までお読みいただき、ありがとうございます。
以上で、2022年の春、ライフ・イン・ザ・シアターを堪能したイチファンの感想は終わりです。瞼の裏で何度も何度も思い返す、愛おしい作品に寄せて。
(お暇とご興味のある方はレポ付き感想シリーズもぜひ、よろしければご覧ください)

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