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勝手に10選〜JOHN LENNON ソロ楽曲編〜

(前記)
ジョンレノン、言わずもがなロック界に燦々と輝くスーパースターだ。ビートルズ時は勿論の事、自身の音楽を探求し続けて、その影響、功績たるや、ロック史において計り知れない。

ギタリストであるが、ずば抜けたテクニックを披露する訳ではなく、シンガーソングライターとして、音楽に対して試行錯誤を繰り返し、生き様、活動、発言を含め、世界の音楽史にその名を刻み込んだ。

ロック界のカリスマ、スーパースター、人々の心を鷲掴みにして止まないジョンレノンの、
ビートルズ解散後のソロ活動から、勝手に10選する。

・Give Peace A Chance
1969年にジョンがプラスティック・オノ・バンド名義で発表したシングルだ。

ビートルズの事実上の解散は1970年4月10日にポール・マッカートニーが脱退を発表した事による。
従って、この曲はまだビートルズ在籍時となり、クレジットはレノン=マッカートニーである。

当時のジョンは、ヨーコと出かける際にパパラッチが付きまとう為、それを逆に利用して"ベッド・イン"という反戦、平和をベッド上でディベートするパフォーマンスを行っているが、その際に録音された。

歌詞の内容は、みんなグダグダいってるけど、俺達は平和のチャンスが欲しいんだ、という内容。
ホテルの一室にて、1発撮りでジョンのギターと手当たり次第の楽器で基本的なボーカルはジョンだが、仲間達と実に楽しそうにサビを歌う。
このシチュエーションが、メッセージソングとして見事に人の心に刺さるのだ。

・COLD TURKEY
1969年にプラスティック・オノ・バンド名義で発売された2枚目のシングルだ。
この曲が実質的に最初のレノン単独名義の曲だ。

この曲は実に面白い経緯をもつ。
ます題名だか、スラングで麻薬の禁断症状の意味を持つが、ジョンのマネージャーは冷えた七面鳥を食べて食中毒になった事をメタファーとして、この題名にした、と語っているが真実は謎である。
しかし、演奏中に繰り広げられる、ジョンの呻き声、雄叫びを聴くと、やはり麻薬では、と思ってしまう。

ジョンはビートルズの事実上(ビートルズの演奏として)のラストアルバム"アビーロード"にこの曲を収録しようとするが、即刻で却下され、プラスティック・オノ・バンド名義のシングルとした。

しかし、リードギターがエリック・クラプトン、ドラムがリンゴ・スターと豪華なメンバーだ。
実に重みのある、曲中の特にビートの効いたサビによる緩急が冴える図太いロックナンバーである。

・Instant Karma!
1970年にプラスティック・オノ・バンドのシングルとして発表された曲だ。
カルマとは因縁、因果応報を指し、インスタントは即席、すぐに、という意味を持つ。
歌詞の内容は、因果応報はすぐ来るかも知れないので油断しない様に、となり題名はなるほど、即席因果応報となる。

ギターにジョージ・ハリスン、プロデュースはフィル・スペクターと豪華だ。
実にこの曲の面白いエピソードは、朝ジョンが1時間でこの曲を完成させ、前記のメンバーを呼び出し、その日のうちにレコーディングを終了させ、10日後に発売する、という正にインスタントなのだ。

曲は、スペクターサウンドを踏襲し、重厚感も持ちつつ疾走感もあり、50'sの雰囲気も香るイカしたロックである。

・LOVE
1970年に発表された、ジョンレノン名義での初のソロアルバム"John Lennon/Plastic Ono Band"に収録された曲だ。

演奏はジョンのアコースティックギターとフィル・スペクターのピアノのみの実にソリッドかつ美しいバラードである。
歌詞は、愛とはどういう事か、という事をシンプルなフレーズを用いた独特な言い回しで見事に表現している。

ソリッドかつシンプルな演奏に、語りかける様に愛とかなにかを歌うジョンの歌声がマッチした大名曲なのだ。

・Happy Xmas(War is over)
1971年に"ジョン&ヨーコ&プラスティック・オノ・バンド・ウィズ・ザ・ハーレム・コミュニティ・クワイア"名着で発表したシングルだ。

この"ウィズ・ザ・ハーレム・コミュニティ・クワイア"が曲中のコーラスを歌っている子供達である。

ジョンとヨーコの呟く様なセリフの後にジョンのボーカルと実に美しいギターから曲が始まり、コーラス、他の楽器も加わる事に壮大さも比例して増していく。

コーラスも圧巻であり、ジョンのボーカルと絡み合い調和し、実に美しい。
クリスマスという日は世界中の人々が笑顔になるべきなのだ。

プロデュースはフィル・スペクターであるが、そのいわゆるスペクターサウンドが際立つ大名曲だ。
ずっと、クリスマスが来る度に皆が耳にする曲なのだ。

・Woman Is Nigger Of The World
1972年にヨーコと共作の名義で発表されたサムタイム・イン・ニューヨーク・シティ"に収録されている曲だ。
いわゆる男尊女卑に対するジョンからの警告、メッセージソングなのだが、メタファーとして"Niger"を使用したのが、物議を醸してしまった。

しかし、曲はずば抜けて素晴らしい。
実に骨太な哀愁漂う、重厚感のあるミドルテンポのロックバラードだ。
出だしから入るテナーサックスも見事に花を添え、 Aメロ、Bメロ、サビに渡り、メロディラインが実に哀愁を漂わせながらカッコよいのだ。
"Niger"が無けれは歴史的大名曲になり得たのだ。

・New York City
1972年にヨーコと共作の名義で発表されたサムタイム・イン・ニューヨーク・シティ"に収録されている曲だ。

ジョンレノンは1971年にニューヨークに移住し、1980年に亡くなるまで過ごした。
よほど、お気に入りの街だったのだろう。

さて、この曲はホーン隊も従えて実にカッコいいロックンロールだ。ジョンのソロ曲の中でも、これだけ軽快なロックンロールも珍しい。歌詞は愛するニューヨークをシニカルに茶化しながら、ロンドンを離れニューヨークに住む決意表明、という様な内容であり、遊び心満点の軽快なロックンロールなのだ。
もうちょっと評価が高くてもよい。

・Peggy Sue
1975年に発表されたアルバム"Rock 'n' Roll"に収録された曲だ。
この"Rock 'n' Roll"というアルバムは、プロデューサーにフィル・スペクターを迎え、50's〜60'sのオールディーズをカバーする、という企画物である。

1973年にレコーディングが始まったが、途中でおかしくなったフィルがデモテープを持って逃走する、などリリースまでには波乱を要したアルバムだ。

で、この"Peggy Sue"であるが、原曲はバディテンホリー率いるバディ・ホリー・アンド・ザ・クリケッツによって、1957年に発表されたシングルである。
バディ・ホリーは、1956年から若干22歳で飛行機事故により亡くなる1959年まで活躍し、その短い活動期間で幾多の名曲を配したロックンロールスターだ。

メガネをかけたロックンロールスターであるバディ・ホリーを観て、近眼かコンプレックスであったジョンレノンが、眼鏡をかけていてもロックスターになれる、て勇気づけられたのは有名な逸話である。

実に原曲に忠実にカバーしており、ジョンのバディ・ホリーに対する敬愛の意が実に心を打つ。
歌声がバディ・ホリーより重厚感がある。
原曲はドラミングが実に軽やかでクールな曲だが、ジョンにより見事にアップデートされているのだ。

・Watching The Wheels
1980年にジョンとヨーコの共作として発表されたアルバム"Double Fantasy"に収録された曲だ。
1975年に子息ショーン・レノンの誕生とともに、育児に専念するため音楽活動を中止する。
そして時を経て満を持してジョンレノンが音楽活動を再開させたのが、このアルバム"Double Fantasy"である。

結果として。ジョンの没後、第2作目のシングルカットだ。

この曲は、”Double Fantasy"に至るまでの、その空白の5年間に対して、周りからの批判だっり、期待だったりの世間の渦に対して、メリーゴーランドを見ているだけさ、とシニカルに論破している。
ソリッドな演奏に、実に素晴らしいメロディラインが奏でられる名曲だ。

・(Just Like)Starting over
1980年にジョンとヨーコの共作として発表されたアルバム"Double Fantasy"に収録された曲だ。
実に5年間の活動休止期間から、アルバム”Double Fantasy”から先行シングルとして1980年10月に発表された。

まるで始まりの様だ、という実に前向きな歌詞が胸に刺さる。
曲も、ジョンレノンのルーツであるロックンロールを踏襲したものであり、ボーカルの録音をする際に、ジョンがふざけてエルビス調に歌ったところ、それが実にマッチして、そのまま採用された。

歌詞の内容は、君と僕はこれまで長い日々を共有してきたが、今ふと思えば、今が、これからが、この瞬間が、まるで始まりの様ではないか、となる。
前向き極まりない、素晴らしい歌詞なのだ。

ジョンは”1970年代は散々だったな、1980年代は最高に時代にしよう”
と語っていたが、この曲のリリースから2ヶ月後に凶弾に倒れる。

生前最後のリリースとなってしまったこの曲の内容を鑑みて、実に皮肉で残念極まりない。

Woman
1980年にジョンとヨーコの共作として発表されたアルバム"Double Fantasy"に収録された曲だ。
ジョンが亡くなってしまった1ヶ月後の1981年1月シングルカットにて発表された。
実に美しいソリッドなミッドテンポのバラードだ。
ヨーコを含めた全女性に対する、ジョンからのラブレターの様である。曲調ともマッチして、実に清々しい曲だ。
ジョンレノンのラストナンバーとして、実に相応しい名曲なのだ。

(後記)
筆者が音楽、ロックに興味を持ち始めた特には、ジョンレノンは既に天国の人だった。
そして、とっくにジョンレノンの年齢を通り越してしまった。
しかし、少年時代から今に至るまで筆者の中でのジョンレノンはずっと変わらない存在なのだ。
もし、ジョンレノンが生きていたら?などとは考えない。全ては完璧にジョンレノンの物語なのだ。

ジョンレノンが人々の心や、曲、本、映像、想いの中に存在し、語り継がれる限り、クリスマスにHAPPY X'MASが流れる限り、ずっとジョンレノンは人々の傍に、ずっと輝き続けるのだ。


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