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主観写真

写真とは、現実世界の一部分を切り取って別の見え方を提示する行為であると考えている。
この落ち葉の写真にしても、実際に現場を生で見れば「え?」っと思うだろう。現実はこれほど鮮やかではないし、落ち葉が際立つようなコントラストもない素っ気なく見える場所だ。
誰も気に留めないような地味な一隅にすぎない。
誇張・強調がされていて、まさに写真現像によるマジックなのだ。
写真を撮る人の中には現実の改変など許さない写実主義の人もいるだろう。
何も加えない撮って出しこそが世界の真実を写し出すのだという考えもあっていい。
しかし、私は任意の範囲を切り取る写真行為の最初の一歩から、既に世界の改変だと思っている。
なぜなら世界は一部分だけでは成り立っていないからだ。
一部分を切り取ることは主観である。360度写る全天球カメラで撮ったところで撮影者の立っている中心点は一部分なのだ。
なので、客観的な写真というものは、撮影者が存在する限り成立しえない。
主観、大いに結構ではないか。私には世界がこう見えたという記録が写真なのだから。

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