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無私の価値
何か一大事が起こったからと、とってつけたように写真は記録だと強調する人間もいるが、
人生は山あり谷ありなのであり、山も谷も淡々と等価に撮ってこその記録なのだと思う。
ウジェーヌ・アッジェの撮ったパリの写真は、一切の自らの表現を捨てて画家のための資料として撮られた。
記録として残そうと思ったのではなく、たまたま撮られたからこそ、のちの世で記録になったのである。
写真は撮影者の目的や意図を超えたところに無私の価値が生まれる逆説的メディアなのだ。
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