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家族を捨てた男が、北極で、誕生日ケーキを作った

医者から余命半年と言われた僕は、今日も病院のベットで天井を眺めていた。
もう少しで死んでしまうと言われただけあって、身体中が痛いし、意識も朦朧とする。気分だって最悪だ。
そして苦しい時はいつも、家族のことを思う。
会いたいという願望と、なぜ捨ててしまったんだろうという後悔を。

僕は病気になる前、自分の人生を全力で生きようとたぎっていた。
自分の欲望や願望に正直に生きた。
正直になりすぎて、妻と子を捨てた。
自分の理想や野心の実現のために時間を使い、傍ら、出会った女性に夢中になった。
その女性とは長くは続かなかったけれど、娘が3歳になる前に、妻は娘を連れて出ていった。
もう15年以上も前のことである。

あんなに、「その気になれば何でもできる」「行こうと思えばどこへでも行ける」と思ってたのに。
病気になって、身体が思うように動かなくなって、そして僕の人生の終わりが見えてきた。
終わりが見えると不思議なもので、何でもできると思っていたころには意識の中に出てこなかったようなこと―些細なことであったり、自分が生きた証を残すことであったり、社会貢献であったり―そういったことを、残りの人生で強く実現したいと思うようになった。

それはどこか、猛烈な後悔のようなものに似ている。
なぜ今まで、それに手を付けずに寄り道や周り道ばかりしていたのだろう。
「人生は短い。やりたいことをやる」とういう言葉を、いかに真面目に受け止めていなかったかを思い知る。

……妻と娘に会いたい。

かつて過ごしたあの家で、3人で食卓を囲みたい。普通の食事を、たわいもない会話をしながら、3人で食べたい。

僕はその光景を、毎日強く思った。
強く思いすぎて、過去の記憶なのか、僕が想像した光景なのか、分からなくなってくるくらい強く強く思い浮かべて、毎日毎日焦がれた。

僕のしたことはなくならないし、身体もろくに動かない。
何より僕にはもう、時間がない。
妻と娘と、もう一度あの家で、3人で食卓を囲むことは、僕の残りの人生ではきっと起こらない。
おそらく、北極の氷の上で、誕生日ケーキを焼くことと同じくらい、限りなく不可能に近いことだと思う。

でも僕は、家族を焦がれる。

それしかできないし、それだけでいい。
それだけで僕は、今日を生きていける。

僕は目を閉じた。

そして夢を見た。

北極ではなかったが、僕はケーキを焼いていた。
作ったこともないし、作り方もわからないはずなのに、夢の中の僕は、手慣れた様子で粉をふるい、卵と混ぜて、型に流してオーブンに入れていた。
夢だからにおいはしなかったけど、しぼむことなく、ケーキはきれいな色に焼きあがっていた。
誕生日ケーキのような立派なものではなかったけど、それは確かにケーキだった。


目を覚ました僕は、しばらく痛みと眠気で朦朧としていた。

少しずつ現実に焦点が合ってきた時、ベットの脇の椅子に、女の子がいるのに気付いた。
女の子、というか、高校生くらいの子だ。
どこかで会ったことがあるだろうか、と思った時、僕が目を覚ましたことに気づいて、その子は言った。

「……お父さん。」

驚いた、と同時に、僕は瞬時にその出来事を受け止めた。

娘が会いに来てくれたのだ。

僕に残された時間が、もう本当に少ないから。
だからきっと、この僕に、娘が会いにきてくれるという奇跡が起きたのだ。

あんなにつらかった痛みも、今は感じなかった。ただ僕はじっと、目の前に座るその子を見ていた。

何も言わない僕から視線を外して、その子は静かに言った。

「お母さんは、あなたには絶対に会いたくないって。でも、わたしが会うか会わないかは、わたしが決めればいいって。だから、悩んだけど、一生会えなくなる前に、会いに来た。」

その声は震えていた。怒りとか、緊張による震えだと思う。でももしかしたら、悲しみも少し混じっていると思っていいだろうか。

ありがとう。
君だけでも会いに来てくれて、ありがとう。


ここはかつて過ごした家ではなく、妻もいなくて、食事なんてとれるほど元気でもない。
ただ一つ僕は、娘に会えた。


焦がれることは自由だ。焦がれるだけで生きていける。
例えそれが、全部叶わなくても。

                          (おわり)

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読んでいただき、ありがとうございました。

このストーリーは、みなさんからいただいたお題をランダムに並べ替えて、テーマを決めて書いたものです。

参加してくださった皆さま、ありがとうございました。

このストーリーを読んだ感想や、「自分ならこんな設定にする」といったことがあれば、コメント欄に書いてくれるとうれしいです。


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