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世の中を動かすもの

以前は、マスコミやマスメディアのことを『第3の権力』や『第4の権力』などと呼んでいました。第3の場合は国民・国家機関(司法、立法、行政)に続き、第4の場合は司法・立法・行政に続く位置付けです。いずれにせよ、かなりの力を持っていました。それは現在も変わっていませんが、メディアが有する権力の本質が変わってきたことは皆さんもお気付きではないでしょうか。テレビと新聞が絶対的な影響力を誇ってきたものが、SNSの台頭により、様相はガラリと変わることに。極端に一方向に流れやすく、過激な論調が増えたという意味では、余計に強さを増したのかもしれません。

その「マスメディアの権力を超えた」と思っているのが市場(マーケット)です。マーケットと言っても、株や債権、為替、商品、現物、先物、仮想通貨ありとあらゆる相場があり、広く経済と言ってもいいのかもしれませんが、市場が社会を覆い尽くしてしまったかのように思えてなりません。

先月就任したばかりのイギリスのトラス首相が窮地に追い込まれています。支持率が7%まで落ち込み、「史上最短政権か」などと報じられています。きっかけは、前政権が打ち出した法人税増税案を凍結し、大幅減税策を打ち出したこと。財政に対する不安が一気に高まり、ポンドやイギリス国債が売られ、財務相の解任や政策の撤回を余儀なくされました。「私が間違っていた」と謝罪する首相の背後にある、市場の力を感じざるを得ませんでした。

日本の場合も、そこまで極端ではないにしても、岸田首相が就任直後に打ち出した「成長から分配へ」は、市場の不評を買ったことから、あっという間に「成長と分配の好循環」に変容し、金融所得課税もすっかり鳴りを潜めてしまいました。おそらく市場の顔色を窺いながらで、再び顔を出すことはないと思っています。それだけ市場の力は大きいものです。

政治家は何をやるのか、その信念が大事だといわれる一方、世の中の変化に柔軟に対応することが求められる場合もあります。二者択一の話ではないにしても、『政策の根幹』と思われることが、いとも簡単に市場の反応で崩壊する様子を見ると、市場は、第3、第4、ではなく、第1の権力の座についてしまったように思えてなりません。

市場は、現在の円安が物価高騰の要因になっているように、私たちの暮らしに直結しています。ただ、投資や運用の余力のない人、年金暮らしの人などにしてみれば、市場との関係性には濃淡があるはずです。ところが2006年に設立されたGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の登場で、老後の生活までも市場に委ねられるようになりました。知らない間に、すっかり市場に覆い尽くされてしまったような状況です。

私たちは、そんな権力にどのような姿勢で臨むべきなのでしょう。マスメディアの場合であればメディアリテラシーを高めることが思いつきますが、逃げ場のない現実に戸惑うばかりです。

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