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22世紀の民主主義

「地方自治は民主主義の学校である」

英国の法学者であり政治家のジェームズ・ブライズの言葉です。地方自治に携わってきた者として、私自身も好んで幾度となく引用してきました。ところが最近ではその『民主主義』がオワコン(終わったコンテンツ)の代名詞のようにいわれるようになり、残念でなりません。

民主主義を基本とする民主国家の反対を専制国家とするならば、ここ20年近くの経済成長や近年のコロナ対策などは、専制国家の方が成果を上げているともいわれています。だからといって、閉塞感はあったとしても、「基本的に自由に発言ができて、自由な意思で政治にも参画できる民主主義」を私たちが簡単に捨て去り、専制国家を選ぶとは思えません。

自由を失くした国や地域での弾圧を目のあたりにすると、余計に民主主義が尊いものに思えます。だからこそ民主主義を簡単にオワコン呼ばわりせず、努力して改善していくべき、そう思います。

イェール大学助教授・成田悠輔氏の著作「22世紀の民主主義」を迷いながらも購読しました。というのも、著者は民主主義をオワコンと称する代表的な人だと認識していたからです。読んでみると、予想通りとても破壊的な内容でしたが、拒絶反応を起こすことなく完読し、共感する部分も少なくありませんでした。

少しだけ内容を紹介すると、
「格差と敗者とを生み出す資本主義と誰もが平等に参加できる民主主義とを掛け合わせることで何とか営まれてきた世界の国々において、民主主義が修復不能なくらい劣化してしまった。ネットが拡散する煽動やフェイクニュース、陰謀論が選挙を侵食し、暴言を連発するポピュリスト政治家が増殖。芸人と政治家の境界があいまいになった」(一部抜粋)

同書は、保身を最優先に考える政治家や政党の本音を見抜き、現行制度の抜本的な改革を期待するのは無理との考えに立ちます。例えば頑張ってオンライン投票を導入したとして、若者の投票率が多少上がったところで、絶対数の多いシルバー民主主義は変わらない、とも。

選挙だけでなく、民意の反映が次第に困難になる『劣化した民主主義』に直面し、現行制度に改良を加えようとする『闘争』、タックスヘイブンや独立共和国を例に挙げながら現実逃避を意味する『逃走』、そして全く新しいシステムを作り上げようとする『構想』、以上の3つの切り口から深掘りしていきます。闘争や逃走も面白いのですが、構想は特に興味深かったです。

「最終的に政治家は癒やしの猫でよく、政策決定はAIが行う、そんな世界が待っている。民意を表す各種データを入力し、選挙結果はそのデータの一部。アルゴリズムが民意に適う最適な政策決定を行う。無意識民主主義を確立するらしい」—そんな馬鹿なと思いつつも、現実の社会でもアルゴリズムに誘導されていることに気付くことがあり、無意識に意思決定に影響しています。

国や地方から打ち出される政策について、全ての市民が納得することはあり得ませんが、大方の人たちが納得できるだけの政策立案と実行、評価がデータに基づいて遂行されていると感じている人は少ないと思います。その時の雰囲気に流されたり、声の大きな人の考えにつられたりすることは結構多いようです。

最近では『異次元』とか『大転換』とかいった大げさな言葉がよく使われます。それらは政治家特有の言い回しの場合がほとんどで、たまにそうでない場合でも、理論的な説明がなされることはまずありません。

岸田首相が述べる「異次元の少子化対策」も、少子化対策自体は20年ほど前から言われ続け、結果が出なくても責任を取る政治家や政党は皆無です。そんな結果が問われない無責任な政治が今後も続くようでなれば、意思決定はアルゴリズムに任せて、政治家は猫やアバターに取って代わられるかもしれない。最近は対話AI「ChatGPT」なるものも出現し、そんな時代が本当に訪れるかもしれないと鳥肌が立ちました。

筆者は同書が嘲笑されることを望んでいます。それは、無理だと諦めながらも、まだ一縷の望みに期待しているようにも思えます。民主主義について本気で闘争しなければ、遠くない将来にAIに乗っ取られた日本の政治が現実となるかもしれず、それは専制国家よりも怖い世界かもしれません。そうならないためにも、私は今年も地方自治から民主主義の有るべき姿を模索していくつもりです。

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