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公共交通機関の維持~国民的議論で方向性を

このnoteでは、これまで何度か公共交通機関、特に鉄道のことをとりあげてきましたが、先週、JR東日本は、一日あたりの乗客が2000人未満の経営が厳しい『ローカル線』66区間の収支状況を公表しました。これでJR全社が同様の公表をしたことになり、今後の鉄道をどうするのか、議論に拍車がかかるものと期待しています。

早速、午前中の情報番組では、いつものコメンテーターに専門家と称する人も含めて意見が交わされていました。

●高校生の通学手段として必須
●送迎の親の負担は重い
●高校生以外にはほとんど使われないのであれば、別の手段を検討してもいいのでは?
●家の前まで迎えに来てくれた方が便利
●観光列車と日常の移動手段を分けて考えるべき
●民間企業では路線維持に限界がある
●JRは他の分野で黒字を出している場合もあり、もっと企業努力をすべき
●上下分離方式を検討すべき
●巨額の道路予算に比べたら微々たるものであり、もっと税金を投入して維持すべき
●代替手段としてバスやBRTも検討すべきでは?

これまでとあまり代わり映えのしない議論が延々と続いていました。

それらを聞いていて感じたことは、発言する人の置かれている環境、たとえば田舎暮らしの経験の有無、子どもの通学だけでなく高齢者の買い物や通院などの送迎経験があるのか、そもそも都会の便利な地下鉄やバス以外の公共交通を利用したことがあるのかなど、によって考え方は全く異なるということ。人は自分の経験した範囲でものごとを捉えるのが常ですが、この問題についても同様だということです。

それから、もう一つ感じたこととして、日本人はお尻に火がついてからでないと動かないということ。現在のコロナ対応や少子化対策、地球温暖化防止対策、電力不足対策などを見ていても、つくづくそう感じてしまいます。熊本県内のダム問題も然りで、大水害が起きて、やおら治水対策が動き出す。問題はわかっていても、何とかしのげる間はしのげるだけしのいで、にっちもさっちもいかなくなって始めて具体策を提示する。意見の割れそうな状況では手を付けずに、批判の矛先をそらすため、あえて問題を大きくしているように見えなくもありません。

先ほどのローカル線についても、熊本県の南阿蘇鉄道やJR肥薩線のように、地震や洪水などの自然災害による被害を受けて初めて、また路線ごとの収支が明らかになってようやく、本格的な議論が始まろうとしています。まだ遅きに失してはいないと思うので、公共交通機関の持つ公共性、それを維持するための負担はどうあるべきか、国民的議論の中で方向性を見出してほしいものです。もちろん、地方は地方として、単に国にお任せすることなく、地域住民の暮らしを守るための知恵を振り絞ることが前提です。

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