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失われつつある『協働』

最近聞かれなくなった言葉の一つに『協働』がありますよね。
えっ、そもそも聞いたことがない!?
「共同や協同ならわかるけど……」
そんな方も少なくないのかもしれません。

熊本市は2010年に自治体の憲法とも言われる自治基本条例を施行していますが、その中に『協働』は「同じ目的のために、それぞれが対等な立場に立ち、役割と責任とを担い、協力することをいいます」と定義されています。

一時期は行政、特に自治体周辺では、『地方分権』や『市民参加』とともに、『市民協働』という4文字熟語としてもよく使われていました。この流れでいけば、
●『地方分権』として、国から住民に近い都道府県や市町村に権限や財源を移す。
●できる限り情報を共有しながら、その意思決定過程に『市民が参加』する。
●意思決定過程への参加だけでなく、決定したあとの実行段階でも、役割と責務の分担のもとに『市民協働』として一緒に取り組む。
といった文脈で語られていましたが、いずれも聞こえなくなったようです。

当時、市民の間では「これからは『協働の時代』だ」と評価する一方で、「自治体が財政的に厳しいので、市民に丸投げしようとしている」「そんな責任なんて自分たちには負えない」との批判の声も上がりました。また、間接民主主義・議会制民主主義を否定することにも繋がり兼ねないため、議会の評判も決していいものではありませんでした。

ということで、市民協働の理念を謳った自治基本条例の制定に際しては、条文の内容を巡ってかなりの議論となり、取りかかってから施行されるまで6年半ほどかかることに。昨今の効率優先の風潮では、その期間自体が無駄としてバッサリ切り捨てられてしまいそうですが、プロセスの重要性は今も昔も変わりません。市民に当事者意識を持ってもらうため、あるいは論点を深めるためには、一定の期間が必要でした。

市民と行政との間で、
情報を共有する
信頼関係を構築する
役割と責務とを明らかにして、
ともにまちづくりに取り組む

技術革新が進み時代が変わっても、協働の理念のもとに実践を積み重ねていくことは大事。仮に言葉が聞かれなくなったとしても、理念までも一緒に失われないようにしたいものです。選挙の際の公約とマニフェストとの関係も似ていて、マニフェストという言葉が使われなくなると、もとからあった公約が以前より軽く扱われるようになってしまいました。流行り言葉で終わらせないだけでなく、本質を見失わないように、その基本的なことを、これからも問い続けていきたいと思っています。

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