読了「評伝 1985年の尾崎豊」
久々に尾崎豊氏に関する本を買ってみた。
2011年に週刊朝日芸能で連載されたものを大幅加筆修正されたもので
1985年という時間軸を中心にその当時につながりのあった方々の証言などを元に書かれたノンフィクション。
小山卓治氏も証言されているとのことで買って読んでみた。
当時交流があった方の証言から尾崎豊氏がやはり愛嬌のある素敵な青年で
あったことはよくわかった。
1985年時代はバブル期。
尾崎は前年のアトミックカフェで骨折してからの復帰で、
どんどんライブ自体が大きくなっていった時代。
世界的には20世紀最大のチャリティーコンサートといわれたライブエイドなどが行われ、
音楽業界もさらに大きくなっていった始まりの頃か?
この時代に生まれていたこと、そしてすべてではないが体験できたことは
生きてきた証になるとも思える。
残念だったのはそのアトミックカフェでの骨折の影響で
翌日のTOKYOROCKFEELINGTIMEで尾崎豊が出れなかったこと。
翌日のライブで会場に行ってショックを受けたなぁ。
尾崎豊からですと言ってハトが飛ばされた記憶があるが
いや本人を観たかったんだよと。
結果生きている間にライブが観れなかったなぁ。
完全にタイミング合わず。
もし過去に戻れるのならアトミックカフェとビートチャイルドには
いっているだろう。
いや新宿ルイードもか。
お金と今みたいに情報がいっぱいあるような世の中だったら。
証言には証言してほしくない人も含まれていたが、
それも含めて尾崎豊氏の人柄が見えてきてよかった。
個人的には話を少し。
小山卓治氏の証言のところであった日本青年館のライブの帰り
小山さんの盟友で当時はバンドメンバー出なかったスマイリーさんと一緒にいた尾崎氏を見つけた。
今もそうだが小山氏にかなり入れ込んでいた僕としてはいたずら心がむくむくと沸き上がり、
わざとスマイリーさんに話しかけ、
尾崎氏がどういう反応をするのか見てみたかった。
一通り話をしてその場から立ち去るときに尾崎氏の方から
「尾崎豊もよろしく」と素敵な笑顔で話しかけてくれた。
ほんとくだらないいたずら心でした。
もっといろいろと触れていたかったアーティストでした。
今生きていたらどんな55歳になっていたのだろうね。
今日最後に聞く曲は当時から一番好きな
「僕が僕であるために」にしよう。
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