見出し画像

府中市場と笠井包装2

さて前回の続き

金沢屋から独立して、2通路の丁度真ん中あたりの入り口から見て左側今のマルシンあたりに店を開いたのが昭和45年。
その頃に調布から府中に引越してきた。
今のサントリーのラグビーの練習場があるあたりに、柳河精機という会社のアパートを曲がりしていた。
僕自身は小学校にあがる頃だったので、
市場近くに出来た矢崎小学校に通う事となった。
第6期生となるのかな?
その頃の市場のお店は、
まずうちの周りは隣が鶏肉屋。
前が漬物屋と言った感じで、
鶏肉屋が後に3通路に移転し、
うちが店を広げた。
1通路と2通路の奥が今でも魚屋ではあるが、
昔は今の築地魚市場府中支社がほぼ全部借りていて、平成になってから数年、縮小する事になり、1通路にあった大省が移転してきた。
泉屋がある場所と3通路の所は東一西東京青果があり、セリをしていた。
あと今では1通路が食堂街になっているが、
昔は食べる所は2階にしか無く、
レストラン秀月と那須野寿司の2店舗。
那須野寿司は半分が確かカウンターのみの
寿司屋ともう半分がラーメン屋。
秀月は割と広々とした洋食屋で、
昭和50年頃はその当時流行ったインベーダーゲームなどがおいてあった。
2階にはその他床屋があったと聞くが、記憶にはない。
飯屋の話で言うと、
市場の真ん前の駐車場のところに
うどん屋?そば屋があり、
そこで売っていたお稲荷さんは美味しかった。
その他今ではない店の話をすると、
警備室の横は小屋で売店となっており、
その前がセンター専用のバス乗り場。
府中本町まで行っていたのかな?
5通路の入り口には銀行があり、
後にATMだけとなり、
警備室の横に移転して、その後閉鎖。
そこでよく両替をしたものだ。
2通路入り口の家庭雑貨の店の隣は履き物屋が2軒。
スニーカーが山のように積まれていた。
1通路の真ん中あたりには、
揚げ物専門店のミムロ食品。
ここの息子とは矢崎小学校の同級生だった。
揚げ物専門店って今では珍しいよね?
移転した店の話をすると、
うちの店が今の店に移転した頃に?
中山商店も移転。
古沢商店も移転してきた。
シモジマも今の月の舟があるあたりから今の場所に移転。
1通路の休憩所あたりは食器屋と丸屋という
食料品問屋。
その丸屋も西東京青果が撤退した際にそちらに移転して、その後泉屋が買取った。
その他味噌専門店や米問屋、ゴルフショップ、平成になってからは、布団屋、健康茶専門店、クリーニング屋などもあったなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?