急ごしらえの在宅勤務机がわたしを救う
あなたの家には机があるだろうか。
ダイニングテーブルやローテーブルとは別に、椅子に座って作業を行うような、作業机が。
このコロナで在宅勤務を求められた時、作業スペースが無くて困ったり、ローテーブルで腰を痛めた人がそれなりに多かったようだ。
出社が始まって、ようやく「普通の机」で作業できると喜んだ人も居たと聞く。
我が家でも、引越して以来ずっと物置になっていたパソコンデスクを発掘し、夫の仕事机にした。
今は出社に切り替わったので、サブモニターだけが残ったこの机。
ここが今、私の魂の休息地だ。
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それがあるのは、四畳半の、この部屋さえなければ家賃を1〜2万下げられるであろうひと部屋。
夫の自転車部屋であるが、謙遜では無く本当に物置のようだった。物が雑然と積み上げられ、自転車のローラー台がある部分だけが開けており、窓を開けることもできない。在宅勤務を迫られ、引越し以来そのままであった段ボール類を片付けられたことだけは、コロナに感謝している。
夫が在宅勤務中こもっていたこの部屋で、私は息子が寝静まった後の時間を過ごす。
それが、そう、とてもいい。
今までは、息子が寝た後のひとり時間を、布団の中や、居間で過ごしていた。
noteを書くのも、ちょっとした勉強も、読書も。愛し守るべき息子が寝息を立てるすぐ隣、いつも家事し生活する居間で。それはそれで悪くはなかったけれども、今、この状態と比べると、しみじみ解る。あれはけして最良ではなかったと。
ここは静かで、パソコンのモーター音がかすかに響くのみ。窓の向こうは漆黒。なぜか窓の前には自転車のホイールがうず高く、しかし崩れないよう慎重に保管されており、背後にはローラー台と2台の自転車。
生き物はただ私だけ。
ここでは存分に集中できる。
息子からも、生活からも離れたこじんまりとした空間。廊下を通じていつでも様子を察知できるが、ここは息子が寝ている部屋からは居間を超えた先にある。物理的に距離がある、ただそれだけで、浮世のしがらみから解放された気分になるのだから不思議だ。
時差出勤で始業時間が遅くなり、さらに忙しさも増して帰宅が遅い夫がいない間、ここは私の城。
私の居場所だ。
ここで集中して本を読み、メモをとり、文章を書くだけで、心が安らぐ。
脳が癒される。
内向的で、ひとりの時間がないと死ぬタイプの私にとって、必要なのはこの部屋、この空間だったのだ。
ちょっと前まで私は育児に向いていないのではないかと、真剣に考えていた。
些細なことでイライラし、寛容さが足りず、大人のくせに余裕がない。なんらかの素養が足りてないのではないかと疑っていた。
足りないのは適性ではなく、「私の机」だったのだ。
緊急事態宣言下で自宅にいたときは、在宅で長時間労働し私にワンオペ育児をさせる夫に定期的に切れていた。しかし今は、この部屋があるから、夫の帰りがどんなに遅くても大丈夫だ。
机と、椅子と、ひとりの時間。
これがあれば私は生きていける。
転勤族で頻繁に引っ越しをしたけれど、どこに行っても自分の机を置くスペースだけは確保した父を想う。
深夜帰宅した夫は私が机に向かっているのを見てショックを受けていた。元はと言えば夫の机だ。無理もない。
でもあなたが居ない間は、どうかここを私の城にさせてね。
夫の自転車と私の思索。ここは互いの魂の拠り所なのかもしれない。
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