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私が小学校教員免許取得を目指すわけ

はじめに


お久しぶりです。じぇです。
娘が小学校入学と同時に家庭内のリズムも大きく変わり、
なかなか更新が滞っています(という言い訳)。
そしてこの4月から、私は佛教大学の科目履修生となり、
小学校免許取得を目指し始めました!
日本語教師&小学校英語専科教員として働く私が
今なぜ小学校免許を取ろうと思ったのか。
今日はその理由をお話ししたいと思います。


公教育に関わるようになったきっかけ

私が国内の公教育に関わるようになったきっかけは、
「海外にルーツを持つ子どもの支援」からでした。
私は海外の大学で働いた後に、国内大学院への進学をしたのですが、
海外にいるときに帰国後の進路を考え、
「国内で日本語教師はどんな社会的貢献ができるのか」と
悩んでいました。
その頃ちょうど「海外にルーツを持つ児童生徒」について取り上げた
記事をいくつか目にし、これだー!と思いました。
私の進学先がある県は、全国で最も外国人児童生徒が多い県だったため
日本語教育が必要とされている現場がたくさんあるようでした。
彼らの日本語支援に関わるには、まずは現場に立たなくてはと思い、
めちゃくちゃ大変でしたが、大学院2年間の間に教育実習にも行き、
なんとか中高国語の教員免許を取得することができました。
そして県内に常勤で日本語担当を配置している市を見つけ、
そちらで無事勤務を開始することができました。


自分の無能さにびっくり

大学院で学んで知識もアップデートできたし、
国内、海外の日本語教育現場でそれなりに経験もしてきたし、
次は中学校で悩んでいる生徒たちのために頑張るぞ!!
と意気揚々と働き始めた私でした。

が、、、
働き始めたら自分が想像していた通りにはいかず
自分の無能さにびっくりする毎日でした。
まず、中学校が求めていたのは「日本語教師」ではなく
「日本語指導もできる中学校教員」でした。
中学校教員としては経験ゼロの私。
自分の担当する日本語の授業以外の
校務分掌の知識が無さすぎてバタバタな毎日。
当然本来の業務であるはずの「日本語」の授業準備もままならず
私なんでここにいるんだっけ?状態になりました。

さらに。「日本語」では本領発揮!となれば良いのですが、
公教育で必要とされる生徒への日本語教育は
これまで自分が行ってきた日本語教育とは全く異なり
自分の知識も経験も全くと言っていいほど役に立ちませんでした。
日本語教室に来る生徒は国籍も学年も日本語レベルもバラバラ。
そして何より発達段階の途中にあり、思春期真っ只中でもある。
おまけに家庭環境が複雑な子も多く、家族との関係性から
第一言語を身につけることもできていない子がいました。
「これは日本語指導でどうにかなる問題じゃないんじゃ?」
と思うことが多々ありました。

そして、中学校の学習は「高校受験」に向けて行われており、
日本語学習者も例外ではありません。
先日日本に来たばかりの中学2年生が、来年の受験に向けて
教科学習を始めなければいけないのです。
生活に必要な日本語&教科学習&進路指導&心の相談&保護者対応・・・
働き始める前はできると思っていたことが、何もできませんでした。
わたしの今までの経験は何だったんだろう・・・
と虚しさと苛立ちを感じる日々でした。

特別支援の先生との交流

中学校の先生方はそれぞれ専門領域の授業を担当しているため、
他の科目の授業を行うことはありません。
それゆえ自分の担当教科以外の先生方には
その専門性へのリスペクトを持っているように感じます。
しかし、「日本語」という教員免許はないため
「日本語担当」=おそらくまともに自分の専門教科で授業ができないため
日本語担当に回された使えないやつ。という目がありました。

(直接面と向かって言われたことはありませんが、態度や会話の端々でそのような感じを受けました。)
そんな中、日本語の授業に悩む私の相談に乗ってくれたり、教材を共有してくださったのが特別支援学級の先生でした。
日本語と特別支援で使用する教材には共通して使えるものも多く、
お互いに情報交換をしながら教材を貸し借りするようになりました。

私が中学校での日本語担当を乗り切れたのは、間違いなく特別支援の先生との出会いがあったからです。

日本語教育は特別支援教育の一部

出産と共に中学校の日本語担当から離れ、小学校で英語専科教員として勤務するようになりました。(英語の教員免許も後々必要になるかもと思い、大学院の時に可能な限り単位を取得し、産休中に不足分を通信で取りました。)そこでまた素敵な特別支援担当の先生との出会いがあり、私も特別支援について少しずつ学び始めました。
そこで考えるようになったのは、「子どもへの日本語教育」は「特別支援教育」の一部なんじゃないかということです。例えば中学校の日本語教室に来る生徒の中には、言語の問題だけではなく、認知的な問題なのかも?と思われる子もいました。そんな時、特別支援の先生に相談すると、じゃあこんな方法があるよといろいろな案を示してくれます。またその子の年齢と発達に応じた教材も考えてくれます。
公教育の現場で働き始める前は、「日本語教育の知識も経験もない人が日本語を教えるなんてありえない!公教育には日本語の専門家が必要!」と思っていたのですが(恥ずかしい。。。)、今はその考えは大きく変わりました。確かに私には多少の日本語教育の知識があるかもしれませんが、子どもの発達に関する知識や、その子に必要な言語以外の支援を見極める能力はありません。特別支援の先生方は、多角的に子どもの様子を観察し、その子に必要な支援を考えます。その中の「言語的な支援」の1つが「日本語教育」なんじゃないでしょうか。

日本語教師の専門性とは

今年から「登録日本語教員」が国家資格になるということもあり、日本語教師の専門性について最近よく議論されています。そもそも「日本語教師」の現場が多様すぎるので、専門性を1つにまとめるのは難しそうですが。国内外のさまざまな現場で働いてきた私が思う日本語教師の専門性とは、「学習者のニーズを理解し必要な支援を提供できる。言語のコーディネーター・ファシリテータとなれる。」ということです。そしてこの文を特別支援担当の先生に当てはめるのであれば、「子ども(=学習者)のニーズを理解し、必要な支援を提供できる。教育のコーディネーター・ファシリテーターとなれる。」に変えることができます。つまり子どもへの支援を考える上ではまず大きな枠組みとして「特別支援教育」があり、そしてその中の「言語」に特化した部分が日本語教育であるという図ができます。

ミクロとマクロ

子どもの日本語能力を図るものとして、「外国人児童生徒のためのJSL対話型アセスメントDLA」というものがあります。

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/clarinet/003/1345413.htm

これは子どもへの日本語教育の支援方法を考える際に活用することが可能なのですが、逆に言えば「言語」以外の支援を考えることには使えません。一方、特別支援の先生方からはWISC検査など、もっと大きな視点からその子に必要な支援を探る方法が提案されます。日本語教育が「言語」に特化したミクロな視点としたら、特別支援教育はもっと大きな「支援」を考えるマクロな視点と言えるかもしれません。
私の好きな海外医療ドラマ「レジデント」のあるシーンで、外科医と内科医がそれぞれの領域で可能な治療を出し合って、どれがその患者のニーズに最も近いかを話し合う場面があります。目の前の子どもに対して、「言語的な支援としてはこんなことができますよ」と提案できる、公教育における日本語教師に求められてることって、こんな感じなのかなと思いました。

私が小学校免許を取得するわけ

というわけでタイトルに戻るわけですが。公教育の日本語&英語教育に携わる中で、私は「言語教師(日本語or英語)って何だろう?」と考えるようになりました。そして、「もっと大きな枠組みで、教育者として、子どもたちのことを俯瞰的に見れるようになりたい」と思うようになりました。本当は言語教師として日本語について、英語について、もっと学ぶべきことがあるかもしれません。でも今はここを深く知りたい。なので今年は小学校免許取得を目指し、子どもの心について、特別支援教育について、学びを深めていきたいと思います。

日本語教育の社会性

国内の日本語教育=日本語学校と思われがちですが、実は日本語教育って色々な現場で必要とされていると思います。大津由紀雄先生が以前函館の学会で「国語教育と英語教育と日本語教育はもっとつながっていくべきだ」というような趣旨のことを言われていたのですが、私も本当にその通りだなと思います。「日本語教育」の「日本語」の部分を取り出すと、「言語」という括りで他の言語教育と繋がることができる。(娘がお世話になっている言語聴覚士さんのお仕事にも、言語を扱うものとしての共通性を感じることがあります。)また「教育」の部分を取り出すと、「教育者」としてもっと大きな括りの人々と繋がることができる。この「日本語教育」の定義の曖昧性が日本語教師の専門性を語ることを難しくしているのだと思いますが、それこそが日本語教師の楽しさでもあると思っています。

まとめ


「子どもは宝。教育は宝。それを育てるのは社会。」
そんなふうに思って最近は働いています。
この先自分が小学校で働き続けるのか、それとも違う道にまた進むのか
今はまだわかりません。
でも今自分が必要と思う知識や技能を身につけていく、その積み重ねによって、自分が目指す教師像に近づけたらいいなと思います。

おまけ

最近日本語教師仲間の尊敬する友人が紹介してくれた​名嶋義直先生の文章。
何だかすごく心に響くものがありました。

私も日本語教育から離れていると言えば離れているのかな。
何というか。真っ直ぐには進んでない気がします 笑。





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