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「ひかりあれ」

神は何故、世界をつくるはじめに、「光あれ」をおこなったのか。誰も「光」の意味を知らない。天と地を創造し、闇が淵の表 神の霊が水の表をおおってる。この「光」はただの光ではない。つまり明るくなったというだけの意味だはない。神が現れるとという意味でである。
 今では「光あれ」をビックバンのことだと思う人がいる。光あれはビッグバンではない。聖書は謎解きに満ちている。神の霊によらないと理解できないと書かれている。光あれとは一体なんだ。私たちの知っている光は太陽から来ている。光は命を育む。光はどこからきているのか。私たちは、知っている。光があれば闇がある。天があれば地があり表があれば裏があり男があれば女がある。 神は四日目に太陽と月と星を造られた。太陽に昼を月に夜をつかさどらせた。私たち人間の創造は七日の天地創造の後になる。土で作られ鼻から命の息を吹き込まれたのである天地創造は人間創造であり命は「光あれ」である
初めに言葉があった。「光あれ」
言葉は神であった
言葉に命があった
この命は人の光であった
 (ヨハネによる福音第一章)
 三位一体の唯一神イエスを使わされた方イエス自身。水と血と精霊によって証したように神自身が
「光あれ」と神自身を表し明らかにしたという事でははないか。全てを創造する前にご自身を明らかにする為に「光あれ」をなさったのである。

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