「再解釈」
14歳、あの日からのこと
私は人見知りの女の子だった。
人の視線が怖くて、前髪で目は隠してた。
私が書く字は小さかった。
「生きててごめんなさい」
「死にたい」
そんな女の子が14歳、裸足で逃げ出したあの日からのこと。
「再解釈」
19歳のとき、「性を買われる」という同じ経験をした人に出会い、手紙を渡された。
その時は再会できるとは思ってなかった。
連絡先は交換できなくて、
残ったのはその手紙。
ずっと、"宝物"として持ち歩いてた。
そして、私はその人に再会することができた。
その人たちは「私たちの存在が実践だ」と言っていた。言葉にパワーをもらった。
私は過去の「買われた」ことを再解釈してみた。
性を簡単に買うことができる社会。
若ければ若いほど、性が「商品」になる社会。
私は「売った」んじゃなくて、「買われた」んだと。
買われた現場での暴力は今でも覚えている。
買春者とホテルを出て、
目の前を通り過ぎるパトカー。
買春者と共に歩く街は
楽しそうな若者たちの声。
私は「性的搾取」という雑踏に紛れてしまってた。
"次の男が私を殺してくれたらいいのに"
そんな想いの再解釈は
"私が死んだら社会は少し変わるのかな"
"生きててごめんなさい"
そんな声の再解釈は
"生きててもいいことないじゃん"
"20歳の誕生日に死ぬ"
そんな夢の再解釈は
"あんなオトナになりたくない"
今だから言える
今だから言える。
「性を買われるということは暴力」だと。
私は今の生き方を選んだんだと思う。
人見知りな女の子だった私は24歳になった。
今は人の視線を気にせず、前髪で目を隠さずに。
夜の街で女の子に声をかける。話をする。
助けることはできないけど、
一緒に考えることはできるから。
あれほど「死にたい」と思って私が
「ノルディックモデルができるまでは死にたくない」
そんな言いながら生きている。
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