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【八王子市】8月2日は、八王子空襲があった。八王子市にとって特別な日。

8月2日は「八王子の日?」

よく語呂合わせで「八王子」を「802」で表記したりします。8月2日も「八王子の日」としてみる事もありますが、
昭和20年8月2日、八王子は太平洋戦争で空襲を受けました。たまたま、8月2日とは思いますが、なんとも偶然すぎる日付ですね。。。

資料によると、当時の八王子は、
→企業整備により廃業した織物工場の多くは軍需工場の下請に転換したり、軍需工場の疎開先や軍関係物資の倉庫になった。また、学童の集団疎開や一般疎開の受け入れ地になり、昭和20年には、空襲による罹災者の受け入れ先にもなった。
さらに、中島飛行機地下工場(浅川町)の建設をはじめ周辺部では本土決戦に備えた軍関係施設の設営、軍隊の駐屯なども行われた。
と、あります。

八王子市街地の80%が焦土と化し、周辺住民を巻き込んだ人的被害は死者396人、負傷者2,000余人で、内重傷者494人といわれているそうです。

富士森公園内には、その慰霊塔が建立されています。


うちの近所の国道20号(甲州街道)の大和田橋は、戦争当時のまま保存されています。焼夷弾の痕も透明アクリル板などで、保存されています。歴史的にも貴重な「橋」ですね!
八王子空襲の際は、この大和田橋の下に隠れて多くの人の命を救ったと記録があります。


今も様々なメディアを通じて、現在も行われている戦争を見ていますが…どの戦争も、争いも、歴史は美化されてはいけない。


■総務省「八王子市における戦災の状況」(東京都)
iki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kanto_20.html


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