白河の清きに魚も棲みかねて元の田沼の汚れ恋しき

政治家に必要な素養はなんだと思いますか?




私は、国を思う気持ちと清濁併せ呑む姿勢だと考えています。

そもそも政治家なんて善人ばかりを相手にしていれば良い、という仕事ではありません。国や国民の利益のためには、悪人とされる人と手を結ぶ必要だって出てきます。
政治家は正しいことだけをしていれば済む、という職業ではありません(少なくとも私はそう思っています)。時には全体の利益のために片目を瞑る必要だってあります。

そうです。裏金問題です。
政治資金規正法を改めろだとか、使った金の使途を1円単位で明らかにしろだとか、政治家をサラリーマンか何かと同列に見ているのでしょうか。
サラリーマンになぞらえるなら、他社や顧客からいただいたお菓子の一つ一つをきちんと報告しなさい、と言っているに等しい。
自営業者であれば、「経費」として丸めている生活費を全て完璧に区分けして報告しなさい、とお達しがあったのと同じ話です。

国益のためには極秘会談だって必要でしょう。相手の心理的なハードルを下げるのに食事は大変有効な手段です。ところが1円単位で収支報告をしなさいなどと言われたら、極秘会談はあっという間に極秘でなくなってしまいます。

政治家は政治家であって、サラリーマンなどとは職務内容も職責もまったく異なります。それをサラリーマンだとか一般の主婦の感覚で断罪してどうする、と私は言いたい。
そりゃ裏金なんてないに越したことはないでしょう。しかし政治家が自由に使えるお金がなくなることで、本当の意味での「公僕」に成り下がってしまうのではないか。そんな危機感すら覚えます。

田沼時代は賄賂が横行し(と言っても賄賂は文化的に認められていたそうですが)、その一方で様々な文化の芽が出ました。
田沼を失脚させた白河藩の松平定信は厳しい緊縮財政路線を取り、文化も経済も一気に冷え込んだそうです。

清濁併せ呑む田沼意次の時代がもう少し続けば、日本独自で産業革命に近いことを起こせたのではないか、そんなふうに考える研究者もいらっしゃると聞きます。

もちろん何でもかんでもブラックボックス化は宜しくない。政治家も人の子ですから、パーティーに参加してくれた企業なり個人なりにちょっといい思いをさせてあげたいな、という気持ちも働くかもしれません。
しかし何でもかんでも透明化することが国益に適うかと言われたら、NOではないかと思います。

政治家はもちろんですが、我々国民にももう少し国益を考える力、更には清濁併せ呑む度量が必要ではないかと感じる今日このごろです。

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