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#20 2020

(WSD Advent Calendar 2020の投稿です)

WSD29期のしゅんです。メインの仕事ではデザイン思考をつかった小中高生向けのワークショップのファシリテーターをしています。また、大学院でコミュニケーション論に関する研究を進めています。あと、もろもろと。
お誘いいただいたこのカレンダーでは、今年1年間の「WSD的に関連しそう」なトピックをふりかえりつつ、いろいろと考えたことをつらつらとまとめてみたいと思います。よろしければ、ぜひ。

①WSD的な自分の1年間

⑴コロナをぶっ込まれたワークショップ
もう、2020年を語るには必ずついて回る「コロナ」。小中高生向けの仕事がメインのため、本格的な対応を迫られたのは政府が一斉休校を要請した2月下旬ごろからでした。今までリアル空間で実施していた授業も少しずつ雲行きが怪しくなり、3月下旬の都知事緊急会見、そして4月の緊急事態宣言で実施不可能に。そもそもが子ども向けの授業、そして「つくる」が必ず入ってくる活動を即座にオンライン化するのは無理がある話でしたが、もはややるしかならず。(この辺のバタバタ感は、4月に投稿しました↓)

この4月から宣言解除後の7月に今まで通りのリアル開講に戻すまでの3ヵ月間が完全オンライン授業実施でした。この時間で考えたことは以下にまとめますが、総括的なことは「それぞれの良さを活かそう」という月並みなものです。今まで、なんとなくしかわかっていなかったコミュニケーションにおけるオンラインver.とリアルver.の違いが、体験をもってクリアになってきたのは、(失礼な言い方ですが)コロナによる恩恵かと。

⑵オンラインでの大学生ファシリテーター研修
そんなバタバタ感の中、うちの会社ではメイン事業の「デザイン思考ワークショップ」のファシリテーターを社内で育成しようと計画し、大学生ファシリテーターの育成プログラムをスタートさせました。コロナ前から計画していたもので、運悪くスタートがコロナと重なってしまいました。。実施内容としては、slackでのコミュニケーションをとりつつ、週1回の研修でデザイン思考やファシリテーションのレクチャーをしつつ、オンラインボードMiroで個人ワークをやったり、学校とかうちのWSとかで実践経験をつんだりする、というもの。「1期生」の大学生は6人が参加してくれましたが、彼らの話によるとコロナで大学が休校orオンライン授業化してしまい孤独な中、このプログラムでコミュニケーションが取れて助かったと。完全オンライン化により、先ほども書いた「つくる」技能の育成が困難という課題がありましたが、それ以外の点は場所や時間の縛りを解放してくれたオンライン化の恩恵が大きかったかと思います。(弊社の中高生デザイン思考イベント「Mono-Coto Innovation2020」では、この6人がファシリテーターとして活躍してくれました↓)

⑶リアルの場での授業
あとあと、もう一つの活動として、公立小学校で時間講師をしています。私は前職が小学校教員で、いろんな理由から教員を離れたものの、いつかもう一度現場に立ってみたいと思っていました。(コロナとは関係なく)7月に娘が生まれることもあり、2020年度は大学院を休学する予定だったので、研究活動の時間を講師として働けないかと前職でお世話になった方に連絡し、実現したものです。今は、学校現場で働きたい方が激減しているので、とても入りやすかったという残念な状況でもありましたが。(そこでのもろもろは以下の投稿にまとめてます↓)

「黒板とチョークと紙とえんぴつとはんこ」という明治時代より続くカビが生えた伝統芸能を必死に守ってきた学校現場ですが、これまたコロナの影響で「プロジェクターとスクリーンとタブレットとオンライン」と一気に令和時代へ100年分のアップデートがなされております。4月にはなかったタブレットを使って授業をするのがこの12月時点ではもはや当たり前感が出てきていますし、ついこの前は保護者会をYouTube配信したそうです。やればできるじゃない。とはいいつつ、まだまだ学校での授業は従来のような黒板に向かって並べられた席で受ける形。ハード的なことのアップデートは一気に進んでいる感じですが、ソフト面でのアップデートには、まだまだ時間がかかりそうな現場です。

②オンライン環境のコミュニケーション構造

今年1年間をまとめるにあたって、この「オンライン」は外せないだろうと思い、まとめてみました。
⑴参加者側から
・年齢的な対応可能性
小中高生向けのワークショップをしての観点ですが、やはり年齢が低くなるにつれて完全なオンライン環境で行うのは無理があることだと思います。タブレットにしろPCにしろ小学校低学年以下の子が立ち上げるのは難しかったり、高学年くらいでも一人でトラブル対応したりするのは困難です。また、オンライン環境では相互の意思伝達手段は音声や文字という言語的コミュニケーションが優勢となります。それは言語的コミュニケーション能力の発達途上にある中学生にとってはハードルが高くなってしまい、自分の意思がうまく伝達できなかったり、相手の意思が理解しきれなかったりする状況になりがちです。この問題は今後の技術的な革新によって乗り越えられるものかとは思いますが、現場で実施している一人として、現行では「円滑なオンラインによるコミュニケーション」は高校生以上が該当しそうな感じです。


・雑談と非言語コミュニケーション
少し触れましたが、現行のオンライン環境(それはつまり我々一般人が手軽に利用できる環境)では、言語的コミュニケーションが優勢となります。ビデオカメラや写真で表情や動きを伝達することは可能ですが、それはリアル空間ほどクリアにはなりません。また、参加者同士が空間を同期せず、コミュニケーション環境を一定時間内から目的に応じて切り出すのがオンライン環境であるのであれば、そこで行われるコミュニケーションも自然に目的性を強く帯びます。目的とは「現時点で既に言語化されている意味」であるのであれば、それに寄りかかってしまうと「現時点では未だ言語化されていない意味」を取り出す作業は困難となります。リアル空間では「雑談」がそれを可能にする1つだったと思いますが、この「雑談」がオンライン環境の特性上、意外と難しくなっている感は大きいです。ただ、文字ベースのチャットは無限に展開可能なので、それは単に自分が慣れていないだけかもしれません。。 


・ツールによる拡張性と親和性
これもさっき書いたことをくどくどと繰り返すことになりそうですが、ツールが発達することによってコミュニケーションの可能性が広がっていくことの面白さがあります。現行では難しい様々な障害についても、使用可能なツールが進化することによって乗り越えられる可能性があること。ただ、その親和性もあって、結局慣れないと何事もうまくいかない、ということかもしれません。

⑵ファシリテーター側から
・言語以外の制限

オンラインワークショップをやってみて、最初に感じたことは「手が伸ばせない」ということ。ファシリテーターとしての自分が身を置く身体空間と私と参加者がつくりあげる意味空間が分離しているのがオンライン環境だと思います。今までのリアル空間ではその2つを無意識に1つのものとして捉えていましたが、改めてその2つが分離してしまうと今まで身体的に伝えていたメッセージを言語的に伝えなければいかず、戸惑うことがありました。特に小学校低学年くらいを相手にする場合は、言葉に頼りすぎず動きや表情などを身体全部を使ってコミュニケーションしなければ、いや自然にしていたのですが、それができないことが非常に厳しかったです。これは上に書いた通り、現行のオンライン環境では、全ての年齢に対応できるわけではなさそうです。


・存在の消し方
レクチャーすることがメインの講師業であればいいのかもれませんが、参加者に自由に動いてもらう場を設計・運営するファシリテーターとしては、オンライン上での存在の消し方にいつも迷います。ツールにもよりますが、スタンダードなzoomだと分割された小窓に自分のエリアがあり、カメラオフにしても自分の顔や名前が表示されてしまいます。参加者側からすると、常に「見られている」「聞かれている」感がありあり。ブレイクアウトセッションに参加者を分けて自由にしてもらればいいのですが、それだと今度は全く参加者の様子がわからず、そもそもファシリできない問題が発生。。と、同期された時間内、参加者を起点として同心円上に空間が広がっていくリアル空間とは違い、空間がぶつ切りになってしまうオンライン環境での悩みです。結局「見られている」ことには変わりがないのですが「自然に参加者から遠ざかりつつなんとなく様子を伺いながら必要そうなときにふらっと入れた」リアルとは違うことに、毎回苦心しています。


・準備について
これも感覚が違います。リアル空間での実施でしたら、よほど特殊なワークを組まない限り、参加者にはふらっと来てもらえばOK。ワークに必要なものは大体こちらで用意しておけばよく、その事前準備が大変、という感じです。ただ、基本的にファシリテーター側の作業になるので自分のタイミングで開始時刻までに進めればいい話です。オンライン環境ですと、もの的な準備はそこまで必要ないのかもしれませんが、参加者に事前にzoomリンクとか使用ツールのURLとかを伝えておかねばならす、また実施についてもzoom中にブレイクアウトセッションに分けるとか、参加者側の諸々のトラブル対応をするとか、意外と臨機応変性が求められてしまいます。完璧な準備はできないにしても、余白を身体的に埋めることができるリアル空間と、できるだけ余白を無くす圧力?をかけられるオンライン空間との違いでしょうか。

③そもそもファシリテーターとは?

ワークショップにおけるファシリテーターとは「糊(のり)」だと思います。参加者を他の参加者や一定の文脈に結びつけることが仕事です。自身も多様な文脈の集合体である一人の参加者は、ワークショップという入れもので他の文脈の集合体である他者やモノコトに出会い、それぞれがランダムな動きをする中で新しい文脈が練り上げられていく。ファシリテーター自身も文脈の一つだとは思いますが、その前に参加者が他の事物と円滑に結びつくための接着剤であるはず。接着剤自体には価値はなく、事物が結びつけられたら消えてなくなるものであるはずなので、それ自体が何かを主張することは、ちょっと違うのだと思います。
色々な想いをもってワークをつくってファシリをしているファシリテーターからすると、もろもろ自己主張したのもわかりますが、それが行き過ぎた自己主張になったり、自己主張のためにワークショップを展開する、ファシリテーターをつとめるといったような、本末転倒にならないよう気をつけないなと、コロナになってもろもろと考えるようになりました。

以上です!長々と失礼しました!
よいおとしを!

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