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グレーゾーンにて。

人間難しいもので見た目が同じだとその人も同じような常識があると思い込みやすい。

ああ、最近ゾンビのいう「普通」の人とお話してたんです。

普通の人。

感情のコントロールができないことに悩んだり、そんなことに悩んでる自分自身を嫌わない人です。

まあ、誰にでも気にすることはあるものだし、悩むものですけど。

お仲間は欲しいので、自分語りしますか。


情緒不安定は、自己責任なんですかね?


私が努力してないように見えたのでしょうか。そんなことわかんないんですけど、なんか、

「もっと努力してちゃんとコントロールしようぜ」的な。

そんな感じのことを言われたんです。

ああ。

その時私はきっとその人は普通の人なんだろうなと思いました。

きっと突然怒ったり、泣いたりしないために感情を引き留めるのに頭痛くなったりしないんだろうなあ。とか

課題とかに追われたときに焦りだけが先走って布団の上で動けなくなるとかないんだろうなあ、とか。


こうやって身を守っているんですね。多分。

多分そんなところに努力値は割かないんでしょう。

やっぱ日本向いてないなあ、

やっぱ普通向いてないなあ、と思いました。


このアカウントですらそれを言われるなんて思ってもいなかった。

まあ、でも、いつものことではあるのでこれだけです。


そもそもグレーゾーンの人間は理解されにくいものなのです。

私は普通の人よりは生きづらく、私の症状もちの中では軽度です。

だから名前はつかないし、病気でもないし、これは個性。

個性だからどうしようもないし、個性だからいいことでもある。


子供っぽいのは悪いことじゃないよとお医者さんは言いました。


でも、ずっと普通のいい子でいることを求められていると思っていた、

頭の中の子の、真の意見は全然変わらないんです。

今でも普通になりたいし、普通でないといけないらしいです。

こういう言葉を聞くたび、

そこに悪意がないからこそ、

私は普通になれていないということが刃を向きます。


だからこそ苦しいんだと私は知っています。

普通なんかありません。

ないんですが、そこに縛るものがある。

その縛るものをあらわにする言葉が傷をえぐるんでしょう。

弱いなあ。

弱いよ。

でないと情緒は安定してるよ。

でも、悲しいんだもん。つらいものはつらいさ。

言わないと大きくなるしね。


普通じゃない人でも許される環境に行って、普通じゃない自分を受け入れてもらいたい。



そのためのノートでそのためのアカウントです。えへへ。







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