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寄る辺なき…… - 華、蝶々 3


 転生した文豪が"本"を持っていない・・・
え、と国木田独歩の頭は一瞬空白になった。島崎藤村を見ると、島崎も同じ様子だった。北村透谷が訝しげに二人を見た。
「”本”って、これのことだよね」
 北村がウエストベルトのポーチに収まっている自分の”本”を取り出した。
腰につるしているか、腿に括りつけているか、懐に仕舞っているか。異なってはいるが、転生文豪は必ず”本”を携えて転生する。”本”は文豪自身である。作風や作家性や文学傾向だけでなく、性格や外見から生前の記憶といったものまで収まっている、転生文豪の本体、存在の核、魂といってよい代物である。転生した身体に異常はなくとも、”本”に傷があったりして体調を崩す転生文豪は少なくない。そのため、定期的に術者アルケミストの補修を受けているものもいるほどだ。
「持ってないのに転生するって、あるのかな」
 北村が更に問う。一足先に現実に戻った島崎が答えた。
「そんなことはない。と思う。透谷の時だって、トルストイさんの時だって、作品は失われたけど、転生した時は”本”は持っていたし、武器の具現化もできたよね」
 転生文豪は”本”を武器に変えて戦う。”本”にはすべてが収まるが特に執筆の記憶と作家としての自覚が大きくものをいう。トルストイは作家という自覚も危うく作品のほとんどが侵食されたが、”本”は携帯しそれを鞭に変えることができた。北村も作品を自ら消去する暴挙を行ったが、”本”はウエストポーチに鎮座しているし、銃へ変化させることができる。
「”彼女”の姿は本当に転生した人型だったのか。魂じゃないのか」
 国木田がコナン・ドイルに問いかけた。
「人の形をしていたね。存在感は薄いが。魂ではないな」
 帝國図書館の特別書庫の蔵書には文豪の魂が眠っていると言われている。その蔵書が侵食され浄化されると、潜書し浄化した文豪たちが触媒となり、眠っていた魂が抽出され、浄化完了のご褒美のように魂がこちらの世界に出現する。その魂が、転生に耐えられるほどに大きければ、魂の形ではなく人の形でこちらの世界に出現する。すでに転生している文豪の魂がそれに当たれば二人目が転生される。が、二人目は出現直後にすぐ魂に変化する。
 術者アルケミスト達は潜書・浄化で集められる大小の魂を集めて、文豪の特別な補修に利用している。その特別な補修は、文豪の魂を集めて文豪の能力を華開かせるために、「開花」と術者アルケミスト達に呼ばれている。
「人の形で転生できるけど、”本”は持っていない、か。こりゃ、大騒ぎだ」
 国木田の見たところ、森鷗外は負傷しているとはいえ自分の足で歩いていた。侵蝕現象にされされて喪失状態で転生される文豪も過去にはいた、と国木田は記憶している。特務司書自ら補修に当たることはないのではと思ってはいたが、そうはいかないようだ。

 そうこうするうち、補修後の心身検査は終わったようで、術者アルケミスト達はみな補修室に引き上げていた。入れ替わりのように、斎藤茂吉と田山花袋が補修室を出てきた。そろって島崎のベッドへやってきた。
 田山は、あ~とため息ともあくびとも言えない声を出して、見舞人用の簡易椅子を引っ張ると座るなり、島崎の足元にドンっと上体を突っ伏した。斎藤は空きベッドにちょこんと座っている北村の隣にドスンと腰を下ろすと足を組み、右手でガシガシと髪を掻き毟った。どうやら相当いらだっているらしい。コナン・ドイルが訊いた。
「補修室の様子はどうだね」
 斎藤が顔を上げ答えた。
「力のある術者アルケミストが何人か、補修陣を張っている。我々は入れない」
 英国の文豪が「補修陣」という言葉に反応した。紳士を気取っているが、オカルディックなことには目がない。
「潜書と同じように、補修陣で結界を張って、その中で特務司書が森先生と小萩さんの補修をしている」
 斎藤はコナン・ドイルをにらみ上げるとそう言った。
「小萩さん、って」
「森先生は彼女をそう呼んでいらした。全く、あのような怪我をされるなど。森先生らしくない」
「そうだね。戦場での医師は兵卒に守られる。経験上そう思うね」
 コナン・ドイルが従軍の経験を思い出しながら言う。突っ伏していた田山が体を起こして言った。
「逆なんだよ」
 ん、とコナン・ドイルと斎藤が先を促した。北村が継いだ。
「そう、逆。森先生、潜書してすぐに侵蝕者に向かって行ったんだ。まるで僕たちを守るみたいに」
「ああ、紅葉先生の言うことも聞きゃしない。あんな森先生、日清戦争でも見なかったぞ」
「藤村から聞いてたより浄化は簡単だったよ。僕らが眷属を浄化している間に、森先生が半分以上侵蝕者から小萩さんを引きはがしてた」
「そっから先の先生が、ね。まるで、子どもを亡くした親みたいだった。これ以上は森先生の名誉にかかわりそうだから言いたくねぇな」
 森の普段とは違った行動と態度に田山も北村も動揺が隠せないようだった。今回の件は、森がキーパーソン。それは確定だったが、国木田の脳裏にはなぜ、という疑問が消えなかった。
 すこし落ち着いたらしい斎藤が、はあと息を吐いてから話し出した。
「私は、あの小萩を言う少女に見覚えがある」
 その場にいる全員が、斎藤を注視した。
「名前も違うし、記憶ではもう少し年長の容姿だが、観潮楼歌会でよく見かけた。入り口近くに控えているので、最初は、森家の女中か何かと思っていた。毎回途中で退席したが、誰よりも早く来ていて、なにやら森先生の指導を受けていたようだ。佐佐木信綱先生が好みそうな古風な歌を詠んでいたが、のびやかで清々しい歌が多かったように思う。」
「そう、それで苦手な北原君の話が出てたのか」
 島崎が久々にしゃべった。盗み聞きをたしなめるように斎藤が睨んだが気にも留めていない。島崎は続けた。
「僕が考えたことをいってもいい。そのために夢の話をしなきゃいけないけど、透谷はいいかな」
「うん、斎藤先生には話してある」
 島崎の視線に、斎藤は諾の頷きを返した。
「ふむ。知らないのは私だけか。推理で何とかなりそうかね」
「その都度話す、でいいかな」
「了解した。では話してくれたまえ」

 ※※※ ※※※ ※※※

 この日、菊池寛は図書館本館で来館者へのレファレンスサービスを手伝っていた。来館者へのリクエストに応じて、参考文献・史料を案内する仕事は、帝國図書館の収蔵資料の量とリクエストの曖昧さの相乗効果で、困難を極めるが嫌なものではなかった。何よりも相手の反応が直接返ってくることが嬉しいのだ。隣では山本有三が中学生の読書感想文作成の相談に乗っていた。気が付くと午後三時を過ぎていた。休憩のタイミングを考えていると、右耳に差し込んだイヤホンから、研究棟職員の一斉召集の連絡が流れた。思わず山本と顔を見合わす。本館の一般業務を手伝っていても、緊急潜書の依頼が入らないとは限らない。イヤホン越しに、昨日から研究棟の潜書・浄化があまり宜しくない状況であることは知っていた。館長補佐の主任司書が二人に声を掛けた。
「今のうちに休憩してください」
 彼は、ウインクで二人を送り出した。
 渡り廊下で研究棟に向かう出口で、芥川龍之介と室生犀星が菊池と山本を待っていた。そこには館長直属の司書がいるのだが、門番として詰めているのはいつもは食堂や談話室にいる術者アルケミストだった。芥川がちらりと中庭を見た。菊池もつられて中庭を見る。見知ったアルケミストが二人普段着でおしゃべりをしているように見えたが、二人の手はせわしなく動いていた。菊池には研究棟とその周辺を錬金術的な方法で封鎖しているだと感じた。
 門番の術者アルケミストが本館の扉を閉じると、四人は小走りに研究棟に向かった。室生も山本も何も言わない。中庭にいた二人の術者アルケミストが、途中の入り口から渡り廊下に上がってきた。菊池に並ぶ。
「何があった」
「一言では申し上げられません」
 特務司書に心酔する男は言った。つっと、二人の術者アルケミストは四人の先に立った。そのまま観音開きの研究棟の玄関を開錠し扉を開けると四人を通し、後に誰も続かないことを確認して、扉を施錠した。
 研究棟の1階は、研究棟職員のための慰安・娯楽施設で埋まっている。食堂とそれに続く、談話室。大浴場。時代柄、喫煙室が2カ所。遊戯室を兼ねたダンスホール。棟内ではないがバーや茶室。
 術者アルケミストが開けてくれた扉を速足で通り抜けた菊池は、談話室の入り口で休日のはずの吉川英治を見つけた。吉川は無言で菊池に廊下を挟んで向かい側のダンスホールを指さした。そこには既に館長が到着していた。どうやらここにいるのは外出・外泊している者以外全員らしい。文豪達や術者アルケミスト達をかき分け、菊池たち四人は久米正雄のそばにやってきた。近くには志賀たち白樺派の一群もいた。吉川を迎え入れた術者アルケミストがガチャンとやたら大きい音を立てて扉を閉めた。館長が術者アルケミスト達に目くばせをすると、扉に近い何人かが、扉の外を警戒する。館長が話し始めた。
「知っている者も多いと思うが、今日の潜書でイレギュラーな事象が起こった。特務司書はその事象終息のためこの場は欠席している。事象が終息するまで、特務司書が対応に当たる。今後しばらくは、全ての潜書を中止だ。それ以外の業務は継続。潜書業務に当たっている者は待機してくれ」
 文豪達からどよめきが起こった。術者アルケミスト達は静かに館長の話を聞いていた。すっと手が上がった。
「少し尋ねたい。中止するのは潜書業務だけだね」
 坪内逍遥が確認するようにいった。
「ああ。具体的には、有碍書潜書、有魂書潜書、有装書潜書。それ以外は予定通りだ」
術者アルケミストの全員招集が掛かっているだろう。待機するのは俺達文豪だけか」
 志賀が更に質問する。
術者アルケミスト達は交代で特務司書のバックアップをしてもらう。研究は一時中止だが交代までは待機だな。待機中の行動制限はない。外出も外泊も可能だが、事後報告は認めない。居場所を明らかにしていて欲しい」
 何人かの文豪がほうと息を吐く。菊池が手を上げて訊いた。
「イレギュラー事象っていうのの内容を、教えてもらえないのか」
 今度は術者アルケミスト達にどよめきが起こった。ざわざわと、らしくもなく私語を始めた。菊池の質問に考え込んだ館長の肩をゲーテが叩いた。どうやら任せろ、ということらしい。
「館長に代わって、私からお話させていただきましょう。今回のイレギュラー事象とは有碍書潜書にかかわることです。侵蝕された本は『華、蝶々』という小冊子。内容は明治初期に活動した名もなき女性作家の作品を集めたものです。その中の一作品がひどい侵蝕を受けました。潜書されたのは、森鷗外・尾崎紅葉・田山花袋・北村透谷の四名。浄化は完了しましたが、転生者の状況が思わしくないため、森先生ともども司書さんの同時補修を受けていらっしゃいます」
 そんな、という声が二カ所で起こった。隣にいる久米の顔色が青くなっていくのを菊池は見た。転生者、ねえ、と山本が呟くのが聞こえた。
「状況はどうだ。回復しているのか」
 誰もが無言のなか、幸田露伴が訊いた。ゲーテは首を左右に振った。
「よくありません。かろうじて転生者の存在を繋ぎ止めている状況だそうです」
 誰も何もしゃべらなくなった。誰かの呼吸音がやけに大きく聞こえた。こほっと空咳をしてゲーテが続けた。
「この状況を打開するため、司書さんから文豪の方々へ協力依頼が出ています。受けるか受けないかは、司書さんの説明を聞かれた後で構わないとのことです。依頼が出ている方を読み上げますね」
 呼ばれたのは、北村透谷、島崎藤村、田山花袋、国木田独歩、伊藤左千夫、北原白秋、石川啄木、斎藤茂吉、吉井勇、そして菊池寛だった。

文をかかげて>へつづく

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