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文をかかげて - 華、蝶々 4


 なぜ自分が選ばれたのか、菊池には謎だった。自分が選ばれた理由を思いつくままに考えてみたが答えは見つからない。ままよ、と前を歩く文豪たちを見る。北村透谷は詩人。伊藤左千夫、北原白秋、石川啄木、斎藤茂吉、吉井勇は歌人だ。島崎藤村、田山花袋、国木田独歩も自然主義文学者として小説を書いてはいるが、明治初期だとまだ、青年詩人である。翻って、自分の作物は戯曲・小説。おまけにこの中では自分が一番若い。
 先導していたゲーテが、医務室の扉を通り越して、補修室の扉の前まで来た。医務室と補修室と独立して使われることがあるので、それぞれに扉があるのは当然だが、こちらは使われることは少ない。補修室の扉もスライド式の横開きだが、医務室に比べて幅が広い。菊池はその幅の広さになにか不気味なものを感じた。ゲーテが呼び出しベルを鳴らした。扉が音もせず開く。暗い部屋の中になにか描線で書かれたものが光っている。ゲーテが来訪意図を告げると、扉は人が一人通るぐらいだけ開かれた。部屋の中の光る描線が薄くなり消えると、間接照明がついた。ゲーテが文豪たちを呼び、一人ずつ中へ入る。
 隣り合ったベッドの片方に森が、もう片方のベッドには転生者と思わる少女が横になっていた。森が閉じていた眼を開け体を起こそうとしたが、頭のほうからぬっと突き出された手に肩を抑えられた。何もないと思い込んでいた空間からいきなりあらわれたものだから、入ってきた文豪全員がぎょっとした。森の枕元には術者アルケミストが二人付き添っていた。少女は眠っているのか、菊池たちが入室した後も動かず、腹の上手を組んで上を向いている。特務司書は二人の間に座って、森の様子を観察し、右手は少女の組んだ手の上に差し掛けていた。特務司書は菊池たち全員が入室したことを確認すると、周りの術者アルケミスト達に次々と指示を出した。術者アルケミスト達は音もなく指示通りに動いた。森の休むベッドの高さが調節され、森がベッドの上に座る形となった。術者アルケミストが二人、少女が休むベッドに陣を張った。その後ろに二人ずつ術者アルケミストが付き添う。が、特務司書の右手は少女の手の上から外されることはなかった。医務室から、見舞人用の簡易椅子が人数分持ってこられた。特務司書が菊池たちと話す準備ができた。

「施術中にて、椅子に座ったままで申し訳ありません。緊急の招集に集まっていただいてありがとうございます」
 特務司書が呼び出された十人を見渡した。その場にゲーテが居るのを見て少しの間眉を顰めた。
「今回の有碍書潜書にかかわることは、ゲーテさんから説明があったと思います。事態は複雑で、事の発端は全く別のところにあるのですが、今は詳細は伏せておきます。単刀直入に皆さんにしていただきたいことのみを申し上げます」
 特務司書がベットに眠る少女を見る。
「この方は、小萩さんと言われます。もっとも生前は他のお名前を使わてれいました。正式ではありませんが、鷗外外史より文章の指導を受けていらっしゃいました」
 全員が一斉に森を見た。森はベッドヘッドを背もたれにし、視線をさげたままでいる。
「彼女は、観潮楼歌会に参加してはいなかったかね」
 北原が問う。はっと森が視線を上げた。
「北原さんは覚えていらっしゃいますか」
「いや、思い出したのだよ。入り口近くに座っていて、自分からは何も話さないが、皆の話を聞き漏らすまいと耳を傾けていた少女をね」
「やはり、そうでしたか」
「モキチくん、知ってた」
「いえ、師匠。森先生が潜書にでるまえに「弟子を迎えに行く」とおっしゃって。ならば誰かと考えましたら。一度歌会が始まる前に、少女に原稿をお渡しになっていて、それに朱が入っていたことを思い出したものですから」
 ふふっと特務司書が笑う。森の頬にうっすら赤みがさしたように見えた。
「伊藤さん、北原さん、石川さん、吉井さん、斎藤先生には、彼女の事を思い出して、文章を書いていただきたいのです」
 北原が何か言いかけたが、特務司書は左手で制した。
「そして、北村さん、島崎さん、田山さん、国木田さん、菊池さんには図書館の収蔵資料の中から、彼女の作品を探し出していただきたいのです」
「収蔵資料っていうのは、要するに全部ってこと」
 島崎が確認する。
「はい、本館の一般開放の図書・資料と地下3階の未整理資料も含みます」
 図書館本館は一般に開放されている部分は地下1階から地上5階の6フロアだ。そこに収納することができない一般開放資料は地下2階の閉架書庫に納められる。広さはほぼ本館1階の面積に相当する。が更に広いのが地下3階の未整理資料庫で、本館1階と中庭と合わせた面積ほどはある。それの中から無名作家の作品を探せと特務司書は言ってきている。たった5人で。
 全員が声を失うなか、ゲーテのみニコニコとほほ笑んでいる。
「引き受けるかどうか、決める前に聞きたいんだが」
 菊池が乾いた唇をなめ、尋ねる。
「何のためだ」
 特務司書がにっこり笑って答える。
「彼女の、小萩さんの有魂書をつくります」
 特務司書が言った言葉の意味を菊池をはじめ文豪たちはつかめずにいた。が最初に現実に戻ったのは、国木田だった。
「そんなことができるのか」
「わかりません」
「即答かよ」
「誰もやったことがありませんから、ただ」
 特務司書がゲーテを見た。
「ゲーテさんの最近の研究成果や、高浜さんや河東さん、松岡さんの転生の経緯、北村さんの転生の経緯を考えると、出来ない可能性の方が低いと思われます。それに」
 特務司書は島崎と北村を見て続ける。
「これが、島崎さんと北村さんの夢の中の彼女への答えになると思います」
「夢の話、僕も透谷もしなかったよね」
「コナン・ドイルさんからお伺いしました」
 特務司書は軽く頭を下げ、返した。
「もう一つ。ご本人の承諾を頂いていないので心苦しいんですが、眠っている彼女の記憶を覗いてみました」
 今度は島崎を見て、続けた。
「彼女に小萩という名前を与えたのは、樋口一葉です。小萩さんも「萩の舎」で下働きをされていたようで、そのころに樋口一葉から読み書きをならったようなのです」
「そうか、奈津さんが」
 じっと押し黙っていた森が口を開いた。
「樋口一葉からは一度だけ手紙が来た。青山を往診に寄越したことの礼と「萩の舎」に妹のような存在がいて自分よりも文才のあるので面倒を見てやってくれという依頼だった。だが俺は、樋口一葉のいう「小萩」を見つけることができなかった。そのことが心に引っかかっていたのだろう、ある料理屋で働いている女に文才を見つけて、歌会に誘った。文章を見てくれというので朱を入れていたが、その女も結核で亡くなってしまった。その女を看取ったときに初めて彼女が「小萩」であることを知った。形見に原稿をと思ったが、葬儀のどさくさに誰かに持っていかれてしまった」
 座っている森が頭を下げた。
「頼む。彼女を、小萩を救ってくれ」

 こうやって10人全員の承諾を取り付けた後、10人は談話室で各々の依頼について相談を始めた。
「司書の言うように、有魂書が作れるのかね」
 吉井が石川に話しかける。
「まあ、あの司書が言うんだから出来るんだろうよ」
「ふふ、これで錬金術の秘密が一つ解き明かされるとしたらわくわくしないかね」
「あー白秋は気楽でいいぜ」
「どうせ石川のとこだから、借金申し込んで断られたんだろ」
「うー」
「お、図星か」
「うっせーよ。『スバル』に短文書いてくれって頼んだけど、返事来なくてさ。書きますって言ってたのに。オレ様「噓つき女ぁー」て思い込んでたんだよ」
「へぇー、石川君も原稿依頼、してたんだ」
「師匠もなにか」
「うん、お花の話を書いてもらおうと思ってお願いしてたんだけど」
「先ほどの話では、最後の歌会あと、直ぐに亡くなられたのですね」
「なあ、勇。知ってたか。あの子、オレ様たちと同い年だったんだ」
 ひくっと吉井の肩が動いた。
「俺様より先に死んでんだよな~」

 歌人たちの回想録組は放っておいて、菊池は資料収集をどういう方法でやろうかと考えていた。
「なあ、菊池」
 ピンクの髪と翠の瞳が菊池を見上げる。
「回想録組に書かせるだけ書かせて、後の編集は俺達だよな」
 菊池の紅玉は先輩編集者の意図を図りかねた。国木田が菊池の左袖を引っ張って、回想録組と距離を取り、自分達がいつも陣取っているテーブルに菊池を誘導した。
「特務司書は、有魂書を作って彼女を本の世界へ返すつもりだ」
「そんな話は、さっきなかったぞ」
 テーブルを挟んで、菊池の前には国木田、国木田の隣には島崎が座っている。隣りのテーブルには、国木田の側に北村と田山が並んで座り、菊池の側には正宗白鳥がいる。帝國図書館研究棟壁新聞編集部の徳田以外のメンバーが勢ぞろいしている。
「事件の経緯も誤魔化してたしね」
 島崎が後を続ける。
「まあ、北原君ぐらいじゃないかな、なんかあるって気が付いたのは」
「で、国木田さんたちは何に気づいたんですか」
「うん、その前に菊池には俺たちが知ってることと島崎の推理を共有する。よく聞いてくれ」
 国木田は、島崎と北村の夢の話から始めた。

 ※※※ ※※※ ※※※

「でさ。俺としては司書がやりたいことをもうちょっと派手に仕上げたい」
「派手に、ねぇ」
 国木田は横に座っている島崎らをちらと見て続けた。
「司書の書いたストーリーはこうだ。明治期の合同雑誌がひどい侵蝕を受けたから浄化した。その結果、その中の一人の作家が転生したが、残念ながら作家の魂の依り代がなくて、武器を具現化できない。このまま放っておくと作家としての魂が消えてしまう。それを避けるために生前交友のあった転生文豪に回想録を書いてもらってそれを依り代にする。作家の魂が納まるので有魂書として保存する」
「まあまあ、無理はあるけどきれいな流れではあるな」
「簡単に言えば、彼女について覚えてることをまとめて有魂書擬きを作って保管する」
 島崎が後を続ける。
「独歩の言い方は乱暴だけどね。筋は間違ってないと思う。だけど意図が違う。司書さんは悪い人じゃないけどいい人でもない。透谷やトルストイさんの作品を取り戻す研究を最優先に考えてくれてるのは分かる。でも、僕は司書さんはどちらかといえば作品より作家が存在し続けることに重点を置いてるように見えるんだ。今回の事もそれに関わる実験のようなものかもしれない」
「実験っていうのはどういうことだ」
 菊池が島崎に問う。
「多くの人に作家として覚えていてもらえれば、作家として存在できるんじゃないかっていう実験」
「で、俺は覚えてもらうってところを派手にぶち上げたい」
 菊池の頭にはクエスチョンマークしか浮かばない。
「覚えてもらえれば、俺たちは作家として存在できると仮定すれば」
 菊池にも国木田の意図が読めてきた。
「なるほど、存在するためには、覚えさせる、だな」
「そ。で、この記事を月一回発行の『図書館月報』に載せようと思う」
「来館者への配布物に載せるのか」
「もう一つ。本館ロビーに掲示する」
「あそこは、図書館の活動案内だな」
「図書館資料の新発見。森鴎外の弟子と思われる女性作家の習作。観潮楼歌会参加者にも期待されていた幻の作家」
 田山がするするとキャッチコピーをしゃべる
「田山さん、それって」
「嘘じゃないさ、当時に書かれなかっただけで。実際に今書いてるんだし」
 田山はニヤニヤしながら、回想録組に視線を投げた。
「こんなにセンセーショナルじゃなくてもいいけどな。女流作家は実はこんなにいましたっていう切り口でもいい。とにかく俺達の内々だけで済ますんじゃなくて、図書館利用者を巻き込む」
「そりゃ、面白い」
「面白いだろう」
 菊池の同意を取り付けた先輩鬼編集長がニヤリと笑った。
「そのために俺たちは人海戦術で彼女の原稿を探す」

永遠に翔ぶ>へつづく


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