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「ただ感じろ」―モスキートハンターが残したメッセージ

先日、モスキートハンターを名乗る女がストローをくわえながら通行人を追いかけ回す迷惑行為をはたらき、警官にその場で取り押さえられた事件は記憶に新しい。

ここで紹介するのは、その女が落とした手帳の1ページである。

モスキートハンターなる職業があるかどうかは定かではないが、少なくともこれを読む限り、女はプロ意識をもってその活動に取り組んでいたことがわかる。

――○月×日

今日はポッチュラ族に奥義を伝授するため、島南部まで足を運んだ。集落は川に面し、雨量も多いことから蚊が発生しやすいスポットだった。

彼らの文化や暮らしは謎に包まれており、接触するのは危険だとする専門家も多くいた。だが、恐ろしき吸血生物から救わなくては、というモスキートハンターの使命感に駆られ、通訳を引き連れ向かった。

その姿を初めて目にしたとき、数々の部族を見てきた私でさえ、声を失ってしまった。

彼らの最大の特徴は、その個性的な衣服だ。

そもそも衣服と認めていいものか疑問が残るほど簡素な作りだった。駅伝でみるようなタスキをかろうじてまとっているだけで、体の98%は露出しているのだ。彼らが歩く度に苦痛の色を浮かべるのは、その布を股下から片肩にかけているためである。股間、ひどく痛そうだ。

布に自分の好きな言葉を思い思いに書いているのも興味深い。

初老の男性に何と書いてあるか尋ねると「乾布摩擦が好き」だと答えた。「乾布摩擦」を知っていることに驚いたが、使える布といってもそのタスキくらいしかないので、これで永遠ゴシゴシしていると思うと正直バッチイなぁと思った。

私の腰ほどしかない小さな子どもは「もっちりした木」だと教えてくれた。だが、意味を聞いてみると、露骨にシカトされてしまった。おそらく、好きな子だけに「いいこと教えてやるよ」とかいって興味を引くタイプだ。

最初こそ面喰ってしまったが、私たちは次第に打ち解け、夜は火を囲みながら不細工な顔の小動物を食べた。肉は少し硬く、歯の間によく挟まった。

満腹になったところで、私は本題のモスキートハンティングについて話した。

しかし、さっそく難題にぶち当たる。

彼らは目が良すぎるあまり、近くを飛んでいる蚊ほど認識できないのだ。かといって(駄洒落ではない)、1メートル以上先の蚊を見つけても害はないので放置してしまう。つまり、蚊になりきりながら動きを追うという定番の手法が通用しないのだ。

そこで、私は彼らにこう伝えた。―「ただ感じろ」と。我ながらかっこいいなぁと思った。

蚊の命を感じる――

彼らは、ほぼ全裸で暮らしているため、全身の神経が研ぎ澄まされている。故に私は、少し訓練を積めば、目で追うよりも確実に「チクッ」を感じることができると踏んだのだ。

「蚊が刺している時間は長くて5秒。チクッの『チ』、いや『ch』あたりで最短距離のフォームで平手打ちをかましなさい」

そう伝えると、彼らは地面に唾を吐いた。どうやら私たちで言う「うなずく」動作と同義らしい。

実際に、月明かりに照らされた彼らが目をつぶりながら己の身に平手打ちをかます姿はなかなか圧巻だった。彼らの訓練は深夜まで続く。私は夜空の下で響くパチパチという音を子守唄に、森羅万象に思いを馳せながら静かな眠りについた。

3日後、別れがやってきた。

部族の長は、私の耳元で「アハン」とささやき、歯ぐきを剥きだしにして笑った。私も「また会おう!」という意味を込めて「アハン!!」と返した。

そうして私は、小さなボートに乗りこんで集落を後にした。

短い間ではあったが、一度心を通わせた彼らとの別れは辛かった。少し気分が落ち着き、通訳に尋ねてみると「アハン」にはそれといって意味はないということだった。

あのくだりはなんだったんだ。

モスキートハンターの夜明け

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