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東京が眠りにつくその前に

第1回目の「かが屋の鶴の間」でくるりの東京が流れてきた時、やりおったなと苦笑しつつも広島から上京して上昇気流に乗っている賀屋さんの目に映る東京を想像したらなぜかやけに眩しくて、やっぱり上京を経験した人にしか見えない東京の景色があるんだろうなぁと羨ましくなった。東京に根を下ろすということはあらゆる夢や希望を抱えつつ、それと同じかそれ以上に襲ってくる不安や孤独を迎え撃たねばならないわけじゃん、それって本当にすごいことだと思う。
週末のニュースで流れていた東京の街は閑散としていて、あれは台風だったか大雪だったか、去年も一瞬だけ同じような光景を見たような気がするけど、今回は一瞬のことでは終わらなそうだ。

「外出自粛」を遵守するタイプのわたしはどうやら"類は友を呼ぶ"を立証してしまったようで、わたしが愛してやまないモラリストたちには容易に会えなくなった。窓の外には例年通り桜が咲いていて、空にはご機嫌な陽が長居をし始めているというのに、それらをのんびり見上げることは許されない。いつまでこの状態が続くのかわからず、休日は惰眠を貪るかあるいはひたすら生命を維持するだけの時間を過ごしている。カーテンの隙間から差し込む朝日は憂鬱の象徴であったはずなのに、在宅の勤務をはじめてみると妙な心細さを感じたりして自分の身勝手さに閉口した。

わたしが生きていく中でいちばん恐ろしいと感じることは、未来が見えないことと、抗いようのない変化に曝されることだ。いちばんとか言いつつしれっとふたつ挙げてしまったが、これらは同率でいちばんだ。残念ながら今この状況で明るい未来を思い描くことなんてできないし、おそらく今はあらゆる面で大きな変革が訪れていて、これまでの普通や常識が瓦解していく渦中にあるのだと思う。革命には犠牲がつきものとはいえ、わたしが生きている間に"革命"を経験するなんて思っても見なかったし、"犠牲"がこれから増えていくかもしれないと思うと身が竦まずにはいられない。もうコロナ以前の世界には戻らないのだろうと思うと恐ろしくて悲しくて不安で、大切にしてきたおもちゃを無理やりに奪われた子どものように泣いてしまいたくなったりもする。

何もかも手が届かなくなって、追憶に浸ってはセンチメンタルの味に顔を歪ませている。いつもわたしは失ってから気づくのだ。失ったものがいかに愛しい光をもたらしていたかを。

再会に声を弾けさせたハチ公前、新宿の人波に埋もれたわたしを探す黒い瞳、伝えたい言葉が伝えられずに泣いた中央線、君の不機嫌な横顔、七色のライトを浴びるわたしのスター、フラッシュが焚けずに夜に沈んだ表参道、爆音に溶けるジンジャーエール、最終列車の発車ベル、朝焼けの受け皿と化す8番線、風を遮る丸い背中赤い耳たぶ青いマフラー、傘を滑る雨粒に濡れた肩、映画館の床に落ちたポップコーンを蹴る爪先、マティーニ越しのぎこちない微笑み、暗闇に浮かんだコンビニまであと数十メートル、またねって手を振ったあとに振り返る瞬間 とか

思えばいつだってわたしの悲劇や喜劇が上演されるのは東京だった。その幕は強制的に下されて、うっすらと白い埃が積もりつつある。
何気ない日常をもっと丁寧に慈しむべきだったと思う。こんなことになるならあの子の弱さを弱いまま抱きしめてあげればよかったし、大丈夫だと心細そうに笑った君の頬を手のひらで包んであげればよかった。なんて未来予知能力を持たないわたしには到底不可能なことなんだけど。

くるりの東京を聴きながら夜の街を走る電車に揺られるのが好きだった。けれども今やわたしの頭の中の東京はすっかり明かりが消えていて、人影もまばらな物悲しい光景が広がっている。こんなに光量を減らした東京がポンと頭に浮かぶ日が来るなんて思ってもみなかった。数ヶ月前まで当たり前に存在したきらめきやときめきも何もかもがなくなっちゃった。疫病によって奪われた心の充足が、皮肉にもわたしが本当に欲してきたものはなんだったかの本質を突いてくる。

すべてが終わったら。意外と数ヶ月後に訪れるかもしれないし、予想に反して数年後になるかもしれないけど、すべてが終わってすべての始まりが訪れたら、そしてわたしが無事そこに存在していられたら、今度こそはわたしが心の奥底に隠してきた様々な色をした愛を吐き出していきたいなんて思ってる。クールを気取るのはもうやめだし、天邪鬼なんて言葉を免罪符にするのももうやめだ。大事な時に素直になれない自分など、始まりの時には持ち越さない。これは自分に対する宣言であり誓いだ。わかっているんですほしいだけなんて傲慢だって、だから生まれ変わるわたしを見てくれ、わたしの愛しのモラリストたちよ。思い出が詰まった東京で、思い出の続きを描きましょう。

#ブログ #東京 #日記

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