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生きづらいと悩んでいたら発達障害と診断された話(前編)

久々のnote、私個人のこと。ただの日記だけど文章にしたらなにか楽になるかも、なんて思って文字をひとつひとつ打ってる。
ずっとずっと、いつから? かはもう思い出せないけど、小さな違和感を抱えて生きてきた。けれども自分ではどうしようもできなくて、なんとなくでやり過ごして適当な薬で現実を麻痺させて、だましだましここまでやってきた。このまま自分をだまし切って年老いて、ある日いつも通り眠りについて、目が覚めたらそこは空の澄み渡った天国でした、なんてゴールを迎えられたら、私の勝利でこの人生の幕を閉じれたはずだ。しかし現実はそう甘いものではない。

転職をして、半年で適応障害となり休職した。
あの職場への違和感はきっと、私以外の人でも感じられるものだと思うし、日々を淡々と、あるいは盲目的に右から左へすべての歪んだ景色を見送ることのできる人でなければ、遅かれ早かれ多少は躓いたり立ち止まったりしてしまうのではないか? と思いたい気持ちと、私ほどは心が弱くない大多数の人々にとっては、取り立てて違和感を覚える環境ではないのかもしれない、という思考の狭間でうずくまったまま、太陽と月の交代を眺めるだけの毎日を送っている。
社会に戻る気にはなれない。求人サイトを眺めるも、今までの経験を生かして似たような業種へ移るか、馴染みある業界はほとんどがハードワークを課せられるから、ワークライフバランスのとれる環境を優先すべきなのかか……。決められなくて、動けなくて、ただただ再びの挫折に怯えている。
どうして皆、自分の仕事をすんなりと選べるのだろう。みんなどうやって人生の選択をし続けているの?

大学生のころ、入学してすぐに環境が合わないことへのストレスで精神のバランスを崩し、数ヶ月休学をした。その時も適応障害だった。
大学に友達がいないわけではなかったけれど、なんとなく”羽目を外した”人の多い環境に嫌悪感があり、気にしないように無理やり楽しそうなふりをしていたらある日突然涙が止まらなくなった。すぐに復学はできたが、その後私は非常に情緒不安定な大学生活を送ることになる。社会に出てからも何度も大きめなずっこけをキメ続けてはいるものの、人生であの4年間が現時点ではいちばん辛かったと思う。
大学を卒業してもう何年も経つのですっかり忘れていたが、思えばその頃から合わない環境に対する激しい拒否反応を起こすタイプの人間だった。いや、たまたま自分は大学が合わなかっただけで、それ以前から環境への適応能力は低かったのかもしれない。義務教育~高校時代は奇跡的に馴染めて気が付かなかっただけで。

就職してからはお局様に初日挨拶時から無視をくらい、その後もお菓子外しや自分だけへの叱責、メーリスから外されるという地味ないじめを受けたことによりメンタルをふたたび壊し1年で退職。
人間不信により就職が怖くなり、次は派遣で仕事先をみつけた。労働に精神が耐えられるか不安で、辞めやすい環境で働くしかなかったからだ。
案の定2社ほど体調不良が起き早期に辞め、3社目。
与えられた仕事はある雑誌の特定のページを毎月作る仕事だったが、ここでは自分がやりたいと思っていたことができたことと、明るく優しい女性が多かったこと、途中から完全テレワークとなり人間関係に起因するストレスが激減したことにより長く続けることができた。

3年という契約満了を機に、現在の職場へやってきた。同じ業界で、別の業種だ。
面接の段階から若干の違和感を覚えていたものの、なんとしても正社員としての雇用形態を獲得したかった私はそのまま内定を承諾した。以前の仕事が3年続いたこともあり、今の精神状態なら多少の困難も乗り越えられるような気がしたのだ。
しかし当初の違和感は的中した。
体育会系の上司に囲まれ過ごす日々によって、大学時代に味わった拒否反応がぶり返した。完全に環境が合わない。利己的で高圧的な上司の指示に従うことも、私の中の正義感が許さなかった。私の正義感などこの世になんの役にも立たないのだが、『悪』としか思えない出来事を見て見ぬふりをし、上司の顔色を窺って生きていくことへの激しい嫌悪感に苦しんだ。毎日泣き暮らして、ある日突然プツンと糸が切れた。

診断書をもらうよう人事に言われ、何年振りかの精神科へ。何年振りかの適応障害。全く眠れない日々が続いていたので、睡眠薬も出された。すべてが振り出しに戻った気分だった。
休職することになり、最初はとても気分が落ち込んでいたが、2ヶ月ほど経ったあたりから少しずつ回復してきた。薬は眠気とめまいが起こるので飲みたくなく、TMS治療を行っている病院へ転院することにした。
しかしその転院先で、思いもよらない診断が下ったのだ。

「あなたは発達障害の可能性があります」
私の脳波を測定した医師は淡々と述べた。モニターには私の脳がカラフルに色付けされており、ここは反応しているだの、ここは反応が鈍いだの言われたが、あまり頭に入らなかった。ADHDとASDの要素が若干みられるといい、レベルとしてはグレーゾーンではないかとのこと。
ただ精神薬を飲みたくないという理由で転院した私からしたら衝撃的な診断だった。しかし症状例を見ると確かに当てはまることが多いように感じた。
今までの生きづらさは発達障害が原因だったのか…?
思いもよらない診断に動揺はしたものの、適応障害を繰り返す理由がぼんやりとでもわかったような気がして、少し安堵の気持ちがあったのも事実だった。

その後、友人に診断の結果を伝えたところ、「脳波測定は眉唾であるからきちんと知能検査をしたほうがいい」とのアドバイスを受け、他院にてWAIS-IVを受けることにした。各領域におけるIQを算出し、その差が大きいと発達障害の傾向が高いとのこと。これではっきりしてしまうのかと思うと、なにやら複雑な気持ちではあった。
結果は言語理解と処理速度の数値に30近い開きがあり、発達障害の傾向ありと診断された。

診断結果を聞いた帰路、各知能数値が書かれた紙を見ながらテスト時のことを思い返した。
処理速度の項目が引っかかってこのような結果が出たわけだが、少々納得がいかない点があった。
テスト内容を公表するのは良くないようなので詳細は割愛するが、おそらく大きく数値を下げたであろう検査は、時間内に特定の作業をしミスがいくつあるかで能力を測るテストだ。
しかし私は、このテストが時間制限のあるものだとは思わなかった。
ミスがないように、とたいへん慎重にそのテストを進めていたら突然、「はいそこまで」と言われ終了してしまった。
初めから時間制限があるとわかっていたら、もっとスピードを上げることはできた。この項目のせいで発達の診断が下りてしまったとしたら、少々その診断には疑問符が浮かんでしまう。
もっとも、定型発達者であれば時間制限の有無を知らせずともさくさくできる or 時間制限があることを空気で察することができるのだ、と言われたら異論の余地などないのだが。

だらだらと書いていたせいでもう3000字に届きそうなので、前後編にわけることにしよう。
ずっとこのnoteは更新していなかったけど、ちょくちょく琴線に触れるような体験があったら記録していきたいと思う。もちろんその逆も然り。

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