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#3 朝8時、単車で花屋のバイトへ

私が田舎で暮らしている理由のひとつに学生時代のバイト経験が潜んでいるようだったので書いてみる。


父の生まれは私が生まれ育った場所だったし、母の生まれは鎌倉だったので、自然あふれるようなザ・田舎に行った事がなかった。

けれど、遠足や林間学校など、自然教育園やら植物園やら都会の中にある自然に触れ合う機会が多く、それがとても楽しかった記憶がある。

大人になって、自然でしかないような場所に嫁ぎ、その穏やかで色彩豊かなこの土地に安心感や故郷の温かみのようなものを感じるのが不思議であるが、根本には幼少期のそんな経験がポジティブな印象で残っているからかもしれない。


大学3年の夏、駅前の古くて小さな花屋でバイトを始めた。


家から駅前の花屋までは単車で行った。
大学の先輩が代々乗り継ぐグラストラッカーが私の愛車。周りの影響もあって、車より先に免許を取り、自分の足にした。

花屋の朝は早く、まだ陽が出てまもない街をバイクで走るのはかなり寒かった。風を感じながら、空を見て、空気の匂いを感じながら、五感をフル回転させて店に向かう。

繁忙期はバイトの入り時間も早くなる。まだ寒い時期が多いので、いつもよりよっぽど早く家を出て、バイクを暖気する。その間にこれから始まる忙しない営業に向けて気合いを入れる。その時間も好きだった。

店には色とりどりな草花が溢れていて、ここでもまた五感を研ぎ澄ます。

時期によって、入荷する花が異なり、郊外にいながら四季を感じる。それぞれの花に合わせた管理方法で、綺麗に咲いている状態を維持する。ブーケやアレンジ、時にはドライフラワーやリースを作り、販売する。

小さな花屋だったので、カウンターにはすぐに列ができる。それでもお客さんとのコミニュケーションは雑にしたくなかった。

既に作って飾られている商品を手に取るお客さんも多いが、種類ごとに花瓶に入れられた花を見ながら、オリジナルのものを求める人もたくさんいた。

飲食店でのバイトの経験もあるが、既存のメニューを注文されることが当たり前で、一から作るものを求められるのは花屋ならではだと感じた。

お客さんに用途や相手の雰囲気などを聞きながら、どんな雰囲気のデザインを希望しているのか聞きながら、花を選んでいく。ニュアンスだけ伝えてくれる人もいれば、1本1本自分で花を選んでこだわりのブーケを作って欲しい人もいる。希望を伝えたり、会話するのが苦手なお客さんもいて、頭を抱えることもあった。

コミニュケーションを取るのは得意な方ではなかったけど、この仕事を通して、会話する楽しさや人それぞれの趣味嗜好や考え方があることに面白みを感じるようになった。


これはいま、村で出会う人みんな知り合いみたいな田舎に暮らしていても感じる。

田舎に嫌悪感を抱く理由のひとつにコミニュケーションの濃さを上げる人がいると思うが、こんなに狭い土地で何年も一緒に暮らしている人が集まっていれば、それはみんな知り合いだし、何かしらで血縁関係があったり、噂話だってあっという間に広がる。当たり前のことだと思う。

狭い土地だからこそ、村を守るために団結し、関係が密になる。もちろん、あそこの家とあそこの家は仲が悪いなんてこともあるけれど、ほとんどが助け合いの気持ちや世話焼きで溢れていて、それらは負の感情ではない。

たくさん山菜や野菜を採れば分けてくれる、困った事があれば聞いてくれる、誰かの家に救急車が来ればみんなが家から出てきて心配する。

そんな田舎の濃いコミュニケーションを受け入れられるのも、人それぞれの趣味嗜好や考え方を感じた花屋での経験あってなのかもしれない。


まとまりのない文章になってしまったが、言いたいのはつまり、自然や植物が好きでコミニュケーションを取るのも好きになったから、いま田舎に暮らしていられるのだろうなぁと感じたということ。他にも色々な要因はあるのだけど。

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