恵文社と私

  二月中旬から三月中旬まで、父の勤め先で去年からアルバイトをしていた。
  棚卸しのアルバイトで、父が採用担当、南草津なんて微妙なところで行う地味すぎるバイトだから人も集まらず、私一人だけが働いている。
半ば父に頼まれるような形で始まったバイトだけど、私はこのバイトが結構気に入っている。
  倉庫にしまわれている箱の中にある小さな部品の数を、表と一致させるだけの簡単な仕事だ。一致しなければ付箋を貼ったりメモをしたりして、報告する。もうちょっと色々作業はあるんだけど、バイト期間の半分くらいはそんな感じだ。
  今日、っていうか昨日?がバイトの最終日だった。
  社員の人達に、また来年、と手を振って帰ってきた。
  なんとなく、自分がこの季節の変わり目の風物詩になったような気がして、少し愉快だった。

  一昨日。
  急に稽古がなくなった。次回出演する演劇の稽古だ。
  どうも稽古に来れるのが私だけだったらしい。
よくわからないけど、九時から十七時まで働いた後に稽古に行くというスケジュールはそこそこ疲れるので、ありがたく休みを頂戴した。
  いつもバイトは父の車に乗って行って、帰る。紺色の、可愛いトゥデイ君。背の低い小さな車で、地面を這うような進み方をする。
  ドライブが好きなので、片道一時間半の道のりは割と楽しく過ごせる。
  帰り道、予定がなければ晩御飯を食べて帰ったり、本屋に行ったりするのも楽しい。

  多分、父は私にバイトをしてもらってるという負い目みたいなものがあるんだろうなと思う。
田舎だし。地味なバイトだし。期間中ほとんどずっと朝から夜まで拘束されて何もできない。しかも週五。
  遊びたい盛りの娘、しかも彼氏持ちが、父親とこんなべったりでいいのか?もっとなんか、旅行に行くとか、女子大生らしい短期バイトとか、あるんじゃないのか?と生真面目な父は考えているんだろう。
  普段バイトをしていない身の私としては、お賃金ももらえるし、楽な作業だし、こういう作業は嫌いじゃないし、別にいいのになぁ、と思いながら。帰り道、寄り道したいと言ったら付き合ってくれて、晩御飯のリクエストも大抵通してくれる父に甘えっぱなしである。すまん父。


  さて、一昨日は小さな車に乗ってかたぴし峠を越えて京都に帰りついた頃、恵文社に行きたくなったので、寄ってもらうことにした。
  一乗寺にある本屋さん。確か他にもいろんな店舗があるはずだけど、私は一乗寺の方にしか行ったことがないので、私が恵文社というとイコールで一乗寺店となる。
  特に欲しいものや本があったわけじゃなくて、なんとなく恵文社に行きたかっただけである。私はあまり恵文社で本を買わない。
  いつかこんな本屋をやりたいなーと思いながら、店内を二、三周して、いつも帰ってしまう。
  それは父も同じだと言っていた。

  鈴蘭の彫り物がしてある目打ち
  ネルシャツみたいな質感の日傘
  真鍮製の万華鏡
  緑色に染められたうさぎの毛の玉

  山尾悠子の作品にでも出てきそうなものがさりげなく置いてある。一昨日は妙にこの四つが気になったけど、やっぱりどれも買わなかった。
  本は、文芸、歌集、漫画、絵本のコーナーをぐるりと物色して、飛ぶ教室とねむらない樹をぱらぱらめくって終わった。
  恵文社で買った覚えがある本なんて、山尾悠子のラピスラズリと、森茉莉の父と私と、中澤系のUta0001. txtぐらいじゃないだろうか。
  高校生くらいから通っているけど、たった三冊。
  なんだか申し訳ない気持ちになってくる。

  恵文社にいると、なんというか、とても良い気持ちになれる。
  酔っ払う、に近いかもしれない。
  その世界観に、酔っ払う。
  時間を忘れて、立ち読みをするでもなくいつまでも店にいることができてしまう、甘く切ない本屋。
  恵文社に行くと、どんなに気が立っていても深く落ち着くことができる。
  甘いお香を焚いて胸いっぱい吸ったような、温かいハーブティーを飲んだような、ぬるめのお湯に頭のてっぺんまで使ったような、そういうときほぐれていくタイプの落ち着き。
  恵文社に入ってしばらく本を物色していれば、だんだん良い気持ちになってきて、やがて辛い感情や苛々や苦しみも悲しみも、全てを忘れることができる。店にいるそのひとときだけだったとしても、一日の大半を病んで暮らしている私にとっては楽園みたいなところだ。
  恵文社になら魔女や魔法使い、ムーミンなんかがいても不思議じゃないし、プーさんだって話し出すだろう。この店は、絶対にどこか近くて遠い場所に繋がっている、という雰囲気を感じる。
  なんていうか、安心する場所なんだと思う。
   秘密基地みたいな安心できる場所。悪いものは入ってこない、静かで温かい安全地帯。
  通っていた高校の図書館と同じかもしれない。あそこも私にとってそういう場所だった。
  本屋としての恵文社に貢献できていないのは非常に申し訳なく思っているけど、恵文社はそれすらも許して、受け入れてくれているような気がする。甘えきっているなあと思うけど、多分次に来た時も、酔っ払うだけで本は買わないんだろう。
  眠気がこない。
  これ完徹だな。今日、10時に集合して神戸なんだけど。困った。

  眠れない日は結構あるけれど、大抵疲れきっているかどん底まで病んでいるかのどちらかで、noteなんて全然書けないということにこの一ヶ月で気がついた。
  今日も相変わらず体調もメンタルもズタボロだけどこれを書けたのは、恵文社のドーパミンの効果なのかもしれない。

  やっぱすごいな。恵文社。

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