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改めまして、Shokoと申します。

今更ながら「そういえばShokoってどんな人?」という部分と、自身の振り返りを兼ねてnoteを書いていこうと思います。
ちなみに昨年30歳になりました。(30年…なかなかの重みに震えてます)

みなさんの経歴や自己紹介を読むのが意外な発見もあり好きなので、自分のことも開示していきたいなと。
もしみなさんの経験と重なる部分などがあれば、ぜひ教えてください🌷

幼少期

生まれは神奈川ですが、転勤ですぐ熊本へ引っ越しました。もともと祖母が福岡におり九州には所縁がありました。
両親によく「片付けできたら温泉行くよ!」と言われるほど温泉が身近にたくさんあり、ご褒美イベントでもありました。というわけで今でも大の温泉好き。
この頃から始めた習い事が定番ヤマハ。個人演奏よりエレクトーンでの合奏が好きでした。きっかけは思い出せませんが、お絵かき教室にも通っていて「お母さんの絵」でまさかの熊本市長賞を受賞。それも最年少3歳で。天才少女現るか?!と思いきや、後にも先にもこれだけ(笑)絵が残っていますが、熊本城から怪獣みたいな巨大な顔(お母さん)が覗いていて迫力に圧倒されます(笑)
幼稚園も楽しく通っていましたが内弁慶な性格で、家の中で妹と踊ったり喋ったりするのが一番自分を出せていた気がします。

小学生

私の小学生時代は「転校生」。熊本で入学後、横浜へ引越し、卒業は川崎でしています。両親の心配をよそに、私は転校初日からケロっとしていました。むしろ転校生として歓迎してもらえること、最後はお別れ会までしてもらえること、正直ちやほやされる特別感に浸っていたところがあります。まだみんな単純な年齢だからよかったのかもしれません。

4年生になると漠然と「女子校に行きたい」という思いが湧き、見学へ行った中学校のかわいい制服と現代的な校舎にひとめ惚れ。中学受験を決意します。
ただ同じように受験する友達は学年に数人しかおらず、放課後プリクラを撮りにいったりして遊ぶことが多くなっていました。
でも私は「危ないから」と心配する母親にあまり許してもらえません。両親を心配させたくない気持ちと「なんで私だけだめなの?」という反抗心。
そんなある日、仲良くしていた友達の空気に初めて違和感を感じ、一度そう思い始めるとどんどん敏感になり学校が怖くなっていきました。
受験も近づき塾での追い込みも佳境になる中、初めてふさぎ込む私。一日学校を休むとその逃げに甘んじてしまう日々。
「中学受験は親との二人三脚」とよく言われますが、両親もただでさえ手探りの状況の中でかなり頭を悩ませたと思います。
それでもなんとか受験を終え、第一志望校合格発表の日。
先にHPを見てくれた父親の「ごうかくー!!」の叫び声は、我が家の歴史的瞬間です(笑)
憧れの中学校に入ればこの環境ともお別れだ!またゼロから始められる!という一心で、なんとか卒業式までは乗り越えることができました。

…あれ、意外と長くなりそうだし自己満が過ぎるので今日はこの辺で!

思い出し始めると印象的なエピソードがいろいろ出てくるし、どれも紛れもない自分のこと。
不思議な感覚と共に少し自分が愛おしくなったりもしました。

また中学~社会人も振り返ってみようと思います。(だれが興味あるねんというツッコミは承知の上で)

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました🌷

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