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酔いどれ日記

最後にお酒をのんだのがいつだったか振り返ってみてもちょっと思い出せないな?ってぐらい久々に呑んでみようじゃないかと思いついて思い立って梅酒とグレープフルーツジュースとチーズデザート(瀬戸内レモン)を買ったのが5月の1日だか2日だかのとにかく連休真っ只中のはなし。
しかしせっかくの連休なのだから、ここぞとばかりに通称:読む鈍器(わたし命名)のJ・D・サリンジャー評伝を再読したいなと思いついて思い立ってそっちに没頭してたらいつの間にやら連休終わってしまっていました。こんにちは日常。そのまま冷蔵庫のすみっこで梅酒とグレープフルーツジュースとチーズデザート(瀬戸内レモン)が所在なさげながらもちくちくとした存在感を放つものだから、ちょっと待ってくれ近々呑むからっていう焦燥感を胸に抱く日々を送っていたわけです。
で、今週は木曜日が出社日で金曜日がテレワーク日、土曜日はおうちに引きこもって過ごす計画を立てている。それなら今週の金曜の夜こそ吞んでみようじゃないか!って思いついて思い立って仕事終わりにごはん作って食べておふろに浸かってひといきついて、満を持して呑んでふわんふわんな今です。こんばんは。
今日はグレープフルーツジュースと梅酒を1:1で割ってのみました。飲みやすくてくいくいっといけてしまうのがたいへん危ういので意識してセーブしつつひとくちひとくちのつもりでちょっとずつ飲んだつもりですがそれでもふわふわの今。お酒と薬はたまにのむとほんとうに効く。最後に呑んだのほんとにいつだろうな。思い出せるのは池袋のなんとかいうビルの4階だか5階だかにあるお店に恋人と行ったことなんですけどあれって2018年の終盤とか2019年の始めとかそれぐらいじゃなかったでしたっけ?そんな経ったか。そりゃそれぐらい経てば久々に吞んだって言っても嘘にならないんじゃないでしょうか。と言いつつ酔っ払い人間の言うことなので思い出せないことも多々ありそうなわけだし記憶を過信してはいけないなと自分で自分に言いたい。そんな経ってるかなあ。また呑みに行きたいですよね。このパソコンの推測変換に飲みにケーションって出てくるんですけどそれはなにか、宴席でのコミュニケーション的ななんかそんな新語というか新語だと思ってるのはわたしだけですでに市民権を得ている言葉なんでしょうか。新語よりも信悟を先に勧める推測変換、わたし目線には優秀。好き。
おうちでひとりで吞む時はいつもカルピスを水で割ったもの:グレープフルーツジュース:梅酒を1:1:1の割合で割ってのむんですよって言ったら変わってるだか珍しいだか初めて聞いただか忘れたけれどなんかそんなような事を言われたのは最近のはなし。5月の1日だか2日だか以降の、梅酒とグレープフルーツジュースとチーズデザート(瀬戸内レモン)が冷蔵庫でしょんぼりしていた頃の話。3分の1って言うときれいに表現できるけど、でも10を3で割ると3.33333333……で3の大行列が出来てしまってそれがどこまでも続きそうな事を不思議に思う。10っていう数字は小数点以下がなくてきちっとした整数なのに、3で割る事でそんな無限にも等しそうな大行列が出現するだなんて。それ以前にわたしは1:1:1の3種類で混ぜたのにその合計が10割って。どうなってそうなるのか。不思議に思う、という処理で棚上げにできるのは人間の才能だと思います。今日はグレープフルーツジュースと梅酒を1:1で割っているから半々だし小数点以下の出番はないです。半々言うてもそんなきっちり計測したわけじゃないけども。だいたいこんぐらいかなっていうざっくり加減だけども。
お酒はわりと強いほうだと思います。飲んだ直後にはふわんふわんになるけど醒めるのも早くて、実際この部分を書いてる今はだいぶ冷静になってきている感があるのです。最初の方読み返したら恥ずかしいんだろうなと思わなくもなくもなくもないけど酔いどれ日記と銘打っている以上はこのまま突っ走りますよ。突っ走ったところでその先に待ち受けるものが何なのかわからないけど。ゴールテープもセルフサービスなのか。でも日記を書く時ってそういうものじゃないでしょうか。noteにアップする記事は「ただの日記」ではなくちゃんと起承転結なり序破急なりのなんかこう読みごたえ的なものがあって読み終わった後にためになったと思えるようなものが求められていると考えられているように感じます、っていうこの表現の回りくどさは防御壁の厚みと比例すると言えるたぶんきっと。
ふつうにふわふわっとした日記を書きたいなと思いついて思い立ったのがお酒のちからによるものなのかそうでないのか、分からないまま終わりにします。醒めたまま見る夢はどんな世界なのか。
おやすみなさい。
いつか「吞んだあと」ではなく「吞みながら」書いてみたいです。